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なぜ野菜生活の私が狩猟を志すのか

狩猟免許をとるという投稿に関して以下のような質問がきた。
いい機会なので、質問に答える形で、
自然と人の共存について私の世界観を示してみよう。
<以下質問内容>
・いわゆる害獣を殺すのか
・自分の邪魔になるという理由で殺して、肉にして食べるから無駄にはしてないから良いのか
・邪魔な人間も虐めたり追い出したり殺しても、理由があるからまぁヨシと言うことにならないか
・人間だから殺したら駄目、動物は理由があれば利用しても殺してもヨシと言うのは、人間目線の自分勝手人間優先だと思う
・共存はしないのか?


1.共存しようとする人と自然

前提として、すでに私も10年間、村の人も何十年と共存しています。
私の畑では、いのししが遠くの山からやってきても、
うちの里山くらい時々立ち寄りなよとぬた場を作ったり、
作物が食べられたりしても、その作物をあげたり、
あまりにひどい時にはその作物を植えないようにしたり、
代わりにみみずを掘れる場所を確保したり、
山にどんぐりの木を植えたりしています。
これは動物のエリアである深山・奥山ではありません。
動物と人の行き交う緩衝地帯としての里山の話です。

また、耕作放棄地が多くあると、いのししが共存できないほいほどの農産物の被害を出すことがあるので、それを避ける為に草刈りをするのです。
実際周りは明らかに山ではなく平地の畑というところで耕作していても、
いのししがくるのです。
ここは近年になって切りひらかれた場所ではなく、
平安以前から続く村里です。
言わば、1000年以上狐や狸、猪の共存してきた歴史があります。

そして、令和の今、狩猟者の人口が減少し、農業者の人口が減少し、
草刈りに関しては村のおじいさんたちは80代の人ができなくなったから、
70代の人が代わりにやっているような状況です。
本当に村は大変です。

2.人によって消えたニホンオオカミの役目を誰が担うか

狩猟の話はこの前提の先にあります。
明治以前、山にはニホンオオカミがいて、
シカやイノシシといった草食動物の無制限の頭数増加を抑えていました。
猛禽類も今以上におり、草食動物の増加に歯止めがかかっていたでしょう。
この状態が変化したのが江戸時代から明治時代にかけて。
人が銃により、ニホンオオカミを駆逐します。
毒の餌を入れて駆逐したともいうので、本当にかわいそうなことです。
そして、明治時代にニホンオオカミが絶滅してから、
必然的に草食動物は増えていきます。
そして、人口の増加とともに、都市部近郊の山々では
過度な開発によって人が動物の居住域を奪うことも起こります。
神戸でも人口島の築造で多くの山がなくなりました。
そして、獣害の問題も起こります。
ある意味人がまいた種と言えます。

獣害への対応としては、個体数の増加に対して猟を推奨したり、
個体数が減ってきたら猟を抑制したり、
大きな流れでいえば頭数調査をしながら、
共存できる様努力していたのが大正、昭和、平成と言えるかもしれません。

ですが、ここ10年でも獣害は肌で感じられるようになりました。
2つ隣の村で電気柵がはられていたのが10年前。
そのころ私の住む村にはいのししのいの字も聞こえなかったです。
そして、4,5年前、隣の村で目撃情報。
2,3年前には私の里山でもさつまいも全部なくなる事件が。

そして、びっくりなのが六甲山系でもシカやサルが出たというお話も。

もちろん、動物の生息域を踏み荒らすのは私も大反対です。
でも、ニホンオオカミがいなくなったのが人のせいなので、
今や生態系ピラミッドからすれば、
純粋に「ナチュラル」な状態ではないが作られてしまっています。
この状態を放置することで、シカやイノシシが増え続けると、
本当に豊かな森が逆にナチュラルな状態ではなくなることが
実際に日本でおきています。

1例をあげるなら、奈良公園の鹿。
奈良公園の鹿は神様の使いということで、
人の決めた決まりによって保護されています。
あまり知られてませんが、その奈良公園の園内には原生林があるのだけど、
この原生林が公園から移った鹿によってかなり危機的な状態にある。
動物と植物では動物の命の方が尊いのか。
人の決まりによって保護された動物のために、
自然が破壊されていることを放置していいのか。
など、議論されているようですが、
今だよい解決策は見つかっていないのが現状です。

3.シカやイノシシを撃てばいいのか?

さて、では、頭数管理のために、シカやイノシシを狩るのは大事なのか
というと、これもかなり考えることがあります。
よくしかやいのししの頭数が増えたといいますが、これも難しいところで、
獣害が増えたからといって、頭数が増えたわけではない。
実は頭数自体は増えていないという統計も見たことがあります。
増えたのは見せかけで、山が動物を養える状態ではなくなって、
実は獣害が増えただけということ。

なので、狩猟と一口に言っても、
私は狩猟は害獣は殺すという考え方も、
趣味で殺すという考え方も、
単純に増えているからとるという考え方も、採用していません。

4.私が目指す猟師の姿


鹿も食べもせず、殺す猟師さんもいると聞きます。
被害が出たら罠をかけ、撃ちに行き、狩った分の報酬を得る。
高齢化した猟師さんは歯が悪くて鹿の固い肉は食べられないから、
処分するしかないと聞いたこともあります。

また、交通事故で亡くなった鹿はそのまま処分です。

私は鹿の命を無駄にする猟師にはなりたくないのです。
なりたいのは、誰よりも自然のことを把握していて、
自然と折り合いをつけてくらしていたときのような猟師さん。
狩猟以前の共存はしっかり確保する。
そして、きちんと調べた上で、頭数増えているなら
ニホンオオカミの代わりに狩る。
増えていないや減っているときは罠にかかっていても逃がす。
現代にもこんな猟師が一人でもいたらいいんじゃないかなと思います。

「自分の邪魔になるという理由で殺して、肉にして食べるから無駄にはしてないから良い」とも思っていない上に、
「それだと邪魔な人間も虐めたり追い出したり殺しても、理由があるからまぁヨシ」という考え方にはならないことはわかっていただけると思います。

自然のことを人の目線ではなく、自然のまま把握することはもちろん、
歴史や文化をしっかり理解して、
現代の状況や農業・林業・狩猟のことを理解して、
本当の共存とは何かをみんなで考えていけると、
動物だけでなく、お魚や野菜との関係ができてくると思います。


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