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介護は続くよどこまでも~♪

明日からまた叔母の介護で北都へと、二泊三日で行ってこなければならない。冬の長距離バス、暖房が効いても効かなくとも溜息吐きたくなる。

なんだかやる気がでないのよ

先週半ばから仕事に集中できなかった、とても気が散っていたのだが理由はこれ介護ツアーだったのか。

叔母の介護を始めて丸四年が過ぎ、昨年十一月には五年目に入った。昨年三月に父が亡くなり、七月に姑が特別養護老人ホームに入居するまで年寄四人を抱えていたことを思うと、とても楽にはなったのだ。楽になったのだが、気が抜けたのかもしれない。

軌道に乗るまではなにごともね

母も叔母も記憶がだいぶ曖昧になってきた。叔母は姉である母よりも、短期記憶が曖昧になってしまった。自分の通院や投薬の管理が難しい状態になってしまった。今回もケアマネージャーが、通院先の病院まで連れてきてくれるのだ。

私にはわがままが出るが、介護スタッフには気遣いを見せるから・・・とのケアマネージャーからの作戦だ。

叔母には通院の空白期間が四年間に二回ある。記憶の曖昧さと老人独特の頑固さが、主な原因である。

介護スタッフとの巡り合わせも大事だよ

叔母は介護保険利用のきっかけとなる入院までは、町内会でボランティア活動をするほど元気自慢の人だった。今は心臓付近と右膝裏の血管のカテーテル手術を受け、本人は元気いっぱいのつもりなのだ。

現在は日曜日以外はデイサービスに通い、投薬管理も介護事業所のスタッフにお世話になっている。

ケアマネージャーもスタッフも叔母の姐御肌の部分を理解してくれ、デイケア施設のお手伝いに行っていると思わせてくれている。

本来ならば独居は難しい状態なのだが、周囲に支えられ何とか続けているのだ。

介護者の息抜きも大切だから

母も姑も九十歳を過ぎている。私の介助・介護生活も、かれこれ二十年近いことになる。子育てと並行していた時期もあるのだ。

今も会社経営を夫と共にしながらであるのだが、介護離職を迷っている人には仕事は辞めぬようにと伝えている。

そしてできるだけ同居せぬように。

仕事は収入源でもあるが、ときとして逃げ場にもなるのだ。育児で言うところの「仕事に逃げる」である。逃げ場があるのならば、逃げた方が良い。

叔母の介護に出かけたとき、北都在住の息子たちと美味しいものを食べに行ったり、スパのあるちょっと良いホテルに泊まったり、自分の働いたお金で息抜きをできることに幸福を感じている。

いや、ちょっとまてよ

育児は目途がつくが、介護はそうはいかない・・・それは確かにそうだ。

これは介護を体験した人にしか言えない言葉であるが、いつかは終わりがあるのだ。(体験せぬ人にこれを言うと、人に非ずと叱責されることが多い)

それがいつになるかわからないし、どのような形で訪れのかわからない。

どのようなことにも終わりがあるよう、介護も終わりがあるのだ。

そして私たちが介護される側にまわるときがやがて来るのだ


#遠距離介護 #介護 #介護保険 #両親 #姑 #叔母 #仕事 #息抜き






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