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自分で立てた目標が正しいのかどうなのか、不安で不安でしかたがないのはどうしたらいいですか?

田中みな実の写真集を編集した、小寺智子さんがゲスト講師だった。
昨日の大隈塾ゼミ。

対面がいい、とおっしゃるのでみんな教室に。
PC画面では誰にしゃべっているのかわからない、
手応えがない、熱量が伝わらない、と。

写真家の幡野広志さんも同じ理由で対面希望だった。
写真の人は同じような感覚なんだろう。

受けてる方は、PCでも熱量伝わるのにね。
わたしは釜石からオンラインでゼミに参加したけど、
小寺さんのトークはびんびん伝わってきた。

あらかじめ質問をとって、
仕事編、恋愛編、人生編、と分けて進行していった。

田中みな実との出版交渉のちょこっと秘話から、
仕事での信念、これだけは決めてること、
などなどゼミ生からの質問に、
「TO DOはきっちりと実行していく」
「時間と予算のいいわけをしない」
などなど、痛いとこをつきながらも、
笑いを取りながらどんどん進めていくところは、
並の編集者じゃないな、と。

「立てた目標が正しいのかどうなのか。
迷いながら進めていくんだけど、とても不安」
という質問があった。

小寺さんは、
「TO DOちゃんと決めて、
やらなきゃいけないことをきちんと決めて、
それをどんどんつぶしていく。
迷ってないでどんどんやっていって、
小さい成功と小さい失敗を繰り返していくしかないよね」

目標をたてたけど不安、
オトナになったら当たり前のこと。

ゼミ生たちにとって、おそらくこれまでは、
与えられた目標をクリアしてきた。
小学生のときは、中学受験。
中学生のときは、高校受験。
高校生のときは、大学受験。
部活でのコンクール出場、大会優勝。
大学生のときは、就職試験。

与えられた目標にはみんな、
勝ち負けがはっきりしてて、
ゴールが決められている。
ノウハウも蓄積されていて、
それにしたがって進めていく。

自分で立てた目標には、
途中の経過が見えない、正解がない。
だから不安になる。
過去問がない。
成功事例はあるが、その成功者とは環境が違うし、
能力の個人差とか運とかもあっただろう。

釜石で「希望学」を研究してきた玄田有史先生は、
「与えられた希望は、希望ではない」
という釜石市民の言葉を紹介している。
釜石は2度の津波、戦争でのアメリカ軍からの艦砲射撃、
から立ち上がって、戦後は製鉄とラグビーで隆盛を誇った。
その製鉄の火は消え、今までより大きな津波に襲われた。
いつもいつも渾身の力を込めて立ち上がり、
希望を捨てず前を向いて進んでいく。

希望は与えられるものではない。
与えられた希望は希望ではない。

目標は与えられるものではない。
与えられた目標は目標ではない。
自分で立てた目標なんだから、
自分で責任を持ってエネルギーかけて進んでいく。
小さい成功と小さい失敗を積み重ねながら。

というところに、ゼミ生たちは来ているんだな、
と感慨深かった。
もちろんもともと子ども扱いはしていないが、
なんか育ち盛りだなあ、と微笑ましくもあったりした。

ところで、小寺智子さんをゲスト講師にお招きしたのは、
ゼミ生なっぷるとももはのふたり。
わたしは、田中みな実を知らないし、だから写真集には興味ないし、
小寺智子さんはもっと知らなかった。
でも、なっぷるとももはが「どうしても!!!!」と熱く語るので、
売れる本をつくる編集者って、どんな嗅覚してるのか、
学生たちの学びになるだろうからいいんじゃない、と思った。
なっぷるとももはも、熱く熱く小寺さんを口説いたらしい。
何度も交渉し、何度も打ち合わせをしていた。

ふたりが自分たちで立てた目標を実現させた、昨日のゼミだった。