見出し画像

「好き」仕事に必要なものはなに?

自分が「好き」なことを仕事している、
って、どうすればそんなことできるようになるのか。

「好きをカタチにするためにできることってなんだろう?」
というトークイベントが大隈塾コミュニティであった。

ゲストは、落語教育家の楽亭じゅげむさん、と、
国家公務員のアイさん。

じゅげむさんは小学校の教員だったが、
「いまの教育は子どもたちの個性をつぶしている」
と危惧を抱いて、学生時代に好きになった落語をつかって、
子どもたちの個性を活かす教育活動をしている。

アイさんは、商標が好きで好きでたまらなく、
商標をあつかう唯一の国家機関で生き生きとして働いているほか、
「公務員の志が1%でも上がれば日本は変わる」という活動もしている。

どちらも、「好き」を仕事にして、
ちゃんと健康で文化的な生活をしている。

よくいわれるのは、

「やらされ仕事」から「やりたい仕事」へ。

よくいわれるだけじゃなく、わたしもそうした啓蒙活動(w)をしているが、

「やらされ仕事」から「やりたい仕事」へ。

なんてそんなカンタンにいくか!! とイキドオリを受けることもある。
そもそもいまの仕事は好きじゃないし、
そもそも仕事ってそんなもんだろう、
と、イキドオリというかアキラメにも近い面持ちで詰め寄られる。

そういうとき、
「じゃあ、あたなの『好き』ってなに?」
なんて反撃したりする。

一方、
「好き」を仕事にしているっていいなあ、
「やりたい仕事」をしているっていいなあ、
という、アコガレもあろうかと思われる。

そんなことあるのかな、
好きをカタチにするにはどうすればいいんだ?
と。

じゅげむさんかアイさんか、
どちらがいったか忘れてしまったが、

「『好き』なことへの努力をしないといけない」
「何もしないと『好き』でいつづけることはできない」

ドキッとした。
「好き」だから、ただただ「好き」であり続けてきたことってある。
たとえば、こうして文章を書いているのが「好き」。
釜石に住んでいるのが「好き」。
大隈塾の仕事をしているのが「好き」。

だけど、「好き」なことへの努力はしているだろうか。
努力はしている。だけどそれは、どれほどの努力なんだろうか。

どれほどの努力でもない、いかほどの努力でもない、
ただ「好き」だからやっているというのは、
ただ「楽(らく)」だからなのではないか。

努力しない「好き」は、ただの「楽(らく)」である。
ただの「楽(らく)」の先にあるのは……。

これもじゅげむさんとアイさんとどちらがいったか忘れたけど、

「『好き』を極める」

極めるにはやっぱり、努力が必要だ。