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むらさんのプロフィール

釜石で仕事したり遊んだりしてると、
「むらさんってナニモノ?」と聞かれることがよくある。

新聞とかネットの記事読んでても
「キャリア」って言葉にはいままで数え切れないくらい出会ってきたが、
わたし自身のキャリアってなんだろ、って書き出してみたら、
けっこうおもしろいかった。

大学にあまりいかずに稼いでいた

大学生のとき、ちょっと尊敬してたアンティークのバイヤーさんから、
「むらたくんって将来なにになるか読めないよね」
といわれて、すごくうれしかった記憶がある。

そのころは学生しながらフリーライターもやってて、
小学館や集英社やリクルートや、
いろんな媒体で取材して書かせてもらっていて、
けっこう稼いでいたし、取材でタレントにもスポーツ選手にも政治家にも会えるだけじゃなくてマトモに話もできていたから、
大学を卒業してどこかの会社に就職するとか考えもしなかった。

なので、卒業したらもともとお世話になっていたフリーランス集団に混ざって仕事して、
すぐに元のかみさんと結婚して、いっしゅん世の中騒然となった。
「むらたって誰?」
と。

蓮舫との結婚と田原総一朗スタッフ

それもきっかけとなって田原総一朗さんと仕事をするようになり、
自分でもライター活動は続けてながら、
田原さんの雑誌の連載記事のサポートをしていた。

このころは、辛い思い出しかない。
5段ぐらいの跳び箱を繰り返し飛んで楽しんでいたのが、
ジャーナリズムの第一線に立たされて、
跳び箱がつねに7段とか8段とか、
そんな感じだった。

けど、田原さん的には役に立つ人間だと思っていたんだろう。
仕事をすべて辞めて北京大学に留学し、
終わって返ってきたら、その日に電話がかかってきて、
翌日からまた田原さんのスタッフとして働くようになった。

2002年、早稲田大学で大隈塾というリーダーシップ講座の立ち上げにかかわり、
そっから20年、大学での教育も仕事の一部となった。

国を動かす政治の仕事

一部でしかなかったのは、
田原さんのジャーナルな仕事のスタッフも続けていたし、
かみさんが2004年に国会議員になったことで、
永田町の仕事もするようになった。

民主党のシンクタンクにも席をおいて、
議員さんの政策の勉強会の裏方をやったり、
ゴーストライターをやったりして、
政権獲得への準備に携わる。

そして、民主党が政権をとったら、
内閣官房の調査官として首相官邸にも机をもらった。

「事業仕分け」で、世の中ホントに変わりそうな風が吹いていた。

リーダーシップ教育の方面では、
大学の大隈塾とは別に、ビジネスパーソンのための大隈塾もつくり、
教育、政治、ジャーナリズムの3方面で仕事をしていた。

2011年3月に東日本大震災があった。
5月に親友清宮克幸に連れられて初めて釜石に来て、
それがいまの釜石移住、ライフシフトのとっかかりになった。