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どっかの誰かのことじゃない

今朝、新聞をめくっていったら「おお!」と目を見張った。
地元の作家くどうれいんが記事を書いている。
(岩手日報の販売員さん朝3時40分ごろに配達してくれるからとっても助かる)

くどうれいんは1997年生まれ、盛岡在住の作家、歌人、絵本作家。
『わたしを空腹にしないほうがいい』、『虎のたましい人魚の涙』、『桃を煮るひと』というエッセイ本をだしていて、中身もおもしろいけどタイトルの付け方がわたしの味覚にバッチリあって、「くどうれいん」という字を見たり音を聞いたりすると、「おお!」と反応してしまう。

だから、「街の変化を自分事に」と見出しの下に「くどうれいん」とあったので、もう記事を読む前にしてすでに「おお!」となっていた。

内容は、盛岡に新しく建つマンションの広告で、
盛岡市に流れる中津川と組み合わせて、
「中津川&岩手山ビューと圧倒的な開放感を愉しむリバーフロントレジデンス」
というマンションポエム、
その広告に写っているビューな山は、
岩手山ではなく岩木山(青森)だった、
というなんともお粗末なお話。

しかもそのマンションは、紺屋町のシンボルとしてあった由緒ある酒造と商店がその歴史に幕を下ろし、解体された跡地に建つ。

くどうれいんはこれに絶句し、
「盛岡市民が、岩手県民が、そして青森県民までも、完全にバカにされている」
と怒り心頭に発している。

でもホントに爆発させた怒りの矛先は広告でもマンションのデベロッパーにでも向いてるわけではない。

「マンションが建つこと以上に、盛岡や紺屋町を大切にしているとは思えない企業に、市民の一人としてその建設にノーと言えなかった自分に腹が立った。」

紺屋町の町並みが好きで、閉店する平興商店が好きで、
でも、

「そういうこともあるのか」と、マンションが建つことに対して声を上げることなく、酒造があっという間に解体されてしまうのをぼんやりと見つめただけだった。

岩手日報2024年6月24日付「日報論壇」

つまり、なくなりゆく風情に対する寂しさを感じながらも、
それは他人事だった、と。

当事者意識がなかった、と悔やんでいるし、立腹している。

やっぱり、当事者意識、だ。

わたしもこのくどうれいんの記事を読んで、
改めて、釜石のあらゆることを自分ごととして、
当事者意識を持っていないといけないな、と思った。

今日はいよいよ一般質問、登壇する日だ。
釜石でのヤングケアラーへの対応について、
新しくできた学校の活用について、を問うていく。