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人の話を聞きましょう、とは教わるが

傾聴、を体験してみた。

前回の大隈塾。2人でペアになって、
ひとりが話をし、パートナーは聞き役。

まず、パートナーは話し手の間の前に座っているけれど、
話し手の話をまともに聞いてない、という状況。
聞き役なのに、スマホをいじったり、話し手の顔を見てなかったり。

それが終わったら、役割交代せずに、
聞き役は「傾聴」に徹する。
「傾聴」のコツは、
うなづき
あいずち
繰り返し
の3つ。

うなづき(うんうん)
あいずち(うんうん、そうなんだ〜)
繰り返し(◯◯なんだね〜)
これをひたすら、どのワザが効果的なのかタイミングをみはからって、
話し手に届ける。

これは「傾聴」のトレーニングだから、聞き手はあえて意識して「うなづき、あいずち、繰り返し」をやっている。それ以外やっちゃいけないし、話し手に質問するのは禁止にした。

片道2分間。最初の過酷な会話は、話し手聞き手ともに、
「地獄の2分間」「人間性を疑がわれてしまわないか心配」
なことを体験する。
そうすると、そのあとの2分間が、
「天国のように感じた」「なんでも聞いてくれて、うれしかった」
なことも体験する。

「聞いてくれてると、どんどん話が広がっていく」
「話が広がっていくから、聞いてて楽しくなる」
と。「聴く」「聞く」ことを初めて体験した、という学生がたくさん。

『LISTEN』(ケイト・マーフィ 篠田真貴子監訳 日経BP 2021年)という本を読んでいる。
その中に、

高校や大学に、傾聴を教える授業や活動がまったくといっていいほどないのはどういうことでしょうか。言葉巧みな話術と説得力を教える授業やディベートのクラブはあるのに。スピーチ・コミュニケーションで博士号を取得したり、人前で話すスキルを高めるためのクラブに参加したりできるのに、聴くことが中心となる学位や研修は存在しません。

と書いてある。
学校で、人の話を聞け、とは教えるが、どうやって聴くのか、は教えない。
だから、
「聞いてるばかりでストレスを感じる」
「聞き手が質問をすることで、話し手の話がもっと広がるはずだ」
と感想文を書く学生がでてくる。

そういうときもある。
そういうときもあるけど、その質問は、聞き手の興味からくる質問であり、
聞き手の興味の延長線上にある「広がり」なんだよね。

その学生にLINEを送って、
「でもさ、話をしている途中に、『それ、なぜなの?』って質問はさまれて、『あ〜〜〜〜〜〜』って残念に思ったことない?」
ってきいたら、
「あります!!!!」
ビックリマークがたくさんついた返信が来た。

傾聴のトレーニングおもしろい、という感想をもった学生がたくさんだった。