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将門の首塚と東京の定番怪奇スポット/初見健一・昭和こどもオカルト回顧録

日本三大怨霊に数えられる平将門の祟りは、東京は大手町にある「首塚」の祟りを中心に語り継がれている。
昭和の時代、少年少女が恐れた東京の定番怪奇スポットを、“懐かしがり屋”ライターの初見健一が回想!

文=初見健一 #昭和こどもオカルト

首塚に手をつけるな!

 昨年末、首塚の俗称で知られる東京大手町の「将門塚」の改修工事がSNSなどで大きな話題になった。大規模なオフィスビル街の再開発の波がついに首塚にまで及んだことで、多くの人が「大丈夫なのか?」と眉をひそめたのである。僕もその一人で、ニュースを知って思わず「え?」と声を出してしまった。
 僕ら世代の東京人は、幼少期から首塚についての話を親や祖父母などからさんざん聞かされてきた。たとえば首塚周辺の会社では、誰かが首塚にお尻を向けて座らないように、常にデスクの並べ方に細心の注意を払っている……というような逸話は、当時の東京っ子なら誰もが知っていたと思う。社員の誰かが不遜にも塚にお尻を向けてしまうと、その人の体調が急激に悪化したり、会社全体の業績がガタ落ちしたりするという。周辺の会社すべてが本当にそんな配慮をしているのかどうかはともかくとして、当時の大人たちはこうした話をまことしやかに語っていたのだ。
 また、小学生時代に読み漁ったオカルト児童書でも、震えあがるような逸話をたくさん読んできた。「信心」などというものとは縁遠い高度経済成長期以降の70年代っ子たちも、首塚については「相応の敬意を払えば守護してくれるが、少しでも礼を失すればたちまち祟りがある」と叩き込まれてきたのだ。「首塚に手をつける」と聞けば、反射的に怖気づいてしまうように育っているのである。

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70年代なかばから80年代にかけて、都内や全国の「オカルト的名所」(?)をガイドブック風に紹介する本が流行した。ブームのきっかけをつくったのは平野威馬雄が1975年に出した『お化けの住所録』(二見書房)。児童書としても様々なタイトルが刊行され、首塚などの話題はこの種のオカルト本の定番ネタだった。

昭和のオカルト児童書で語られる首塚

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