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東京五輪2020の延期とパンデミック”世見”が的中!! 松原照子と”不思議な世界の方々”の未来予言・総力特集/文月ゆう

東日本大震災を予言したことで、多くの人の注目を集めるようになった松原照子氏。じつはそれ以前にも、スペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故やメキシコ大地震などを予言し、周囲の人々を驚かせていた。
その能力は、予言だけにとどまらない。昆虫や人形、石といった身近なものと語らい、さまざまな情報を得ることができるのだ。
松原氏をそのように育てた「不思議な世界の方々」とは? そして、松原氏の目に映る近未来の世界とは?

文=文月ゆう

2012年2月13日の「東京五輪はない」予言が現実に

 (当たってしまった……!)
 それが正直な気持ちだった。肌が粟立つような感覚もあった。
 去る(2020年)3月24日夜、安倍晋三総理が東京オリンピックの延期を発表したときのことである。
 このニュースが流れたとき、たまたま筆者はテレビの前にいて、記者団に囲まれた安倍総理が、総理大臣公邸で語る場面を見ていた。
 年明けからこの日までの流れを振り返れば、オリンピックの延期はだれもが予測していたことではあったと思う。中国の武漢市で原因不明の肺炎が報告され、その原因が新型コロナウイルスであると特定されたのが2019年12月末。1月中旬にはタイ、日本、韓国、台湾で感染者が見つかり、1月末にはアメリカやヨーロッパ諸国にまで感染が拡大した。その後もいっこうに終息の気配が見えず、感染者数は日に日にふくれあがるばかり。オリンピックに参加予定の国々からは、開催延期を要請する声が上がった。3月にはカナダ、オーストラリア、ニュージーランドが不参加を表明。そんな状態で開催できるはずがない。

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中国の武漢市から世界に広がった新型コロナウイルス。ほぼすべての国で感染が確認されている(写真=アメリカ国立アレルギー・感染症研究所)。

 ところが、いざ延期が現実のものになってみると、どこか非現実的な出来事であるかのように感じた。別の言葉でいえば、ショックを受けたのだ。
 なぜショックを受けたのか。それを説明しようとしても、うまい言葉が見つからない。あえて言葉にするなら、東京オリンピックは「ない」という松原照子氏の予言(松原氏は「予言」という言葉にかなり抵抗を感じておられるが、ほかに適当な言葉がないので使わせていただく)が、2012年2月の発言から8年の月日を経て、このようなかたちで的中したことがショックだった。
 そして、延期の発表から数時間後、ムー編集部の本稿担当者からメッセージが届いた。
「喜んでいいのやら。オリンピックが延期となりました。しかして、松原さんの総力特集の準備にかかりたいと思います。何卒よろしくお願いします」
 文面からして、彼も同じような心理状態なのだろうと推察できた。
 そもそも松原氏の予言が広く知られるようになった一因は、本誌「ムー」の記事と、編集部が企画した書籍『松原照子の大世見』である。その立場からすれば、予言が的中したのは画期的なことだ。しかし、今の状況を喜ぶ気になど、とうていなれない。
 編集部の面々や筆者を含め、松原氏と親交があり、予言を知る人々は、程度の差こそあれ、複雑な気持ちで2020年を迎えたのではないか。というのも、予言が「当たる」とすれば、それは東京ないし日本が、オリンピック延期を余儀なくされるほどの災厄に見舞われることを意味する。そんなことは、だれも望まない。さりとて予言が「外れる」と、松原氏がバッシングの嵐にさらされるかもしれない。それもまた憂慮すべき事態だ。

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2016年8月に出版された『松原照子の大世見』(学研)。オリンピックに関する予言が帯に書かれている。

 そうした思いと奇妙な緊張感は、3月24日の夜、安倍総理が口を開く瞬間にピークを迎え、延期の発表とともに弾け飛んで、何とも言葉にしがたい感覚が残った。

「うん、やっぱりないなあ、と感じた」

 本稿執筆のために松原氏に話をうかがうなかで、数年来、不思議に思っていたことがいくつも解決した。
 そのひとつは、前述した書籍『松原照子の大世見』の帯に関することだ。よく目立つ位置に「2020年、東京オリンピックは開催されない!?」というキャッチコピーが踊っている。出版されたのは2016年8月だ。
 この帯を見たとき、よくぞ松原氏がOKを出したものだと思った。もちろん、この予言が本書の目玉であることは間違いないし、この文言に引かれて手に取り、購入してくれる人もいるだろう。しかし、外れたら、松原氏が大変な目にあうかもしれない。本文中にひっそりと書かれているだけならともかく、表にデカデカと掲げて大丈夫なのかと、余計な心配をした。
 そのことについて聞くつもりはなかったが、話の流れが書籍のことになったとき、松原氏がこう語ってくれた。
「普通なら、そんな帯をつけられたらエライこっちゃ、マズイという気持ちが湧いてくるのかもしれんけど、そういうことがまったくなかった。それに帯を見たら、うん、やっぱり(オリンピックは)ないなあ、と感じた。だから、そのままでいいと思ったの」
 そうだったのか、と納得した。松原氏は帯を見て、自身の予言を再確認したうえでOKを出していたのである。

 念のため説明すると、松原氏が東京オリンピックは「ない」と発言したのは2012年2月13日。50名程度が参加したイベントの質疑応答タイムだった。
「東京オリンピックはありますかと質問されたとき、『ないと思いますよ』と上品に答えていればよかったのかもしれん。でも、考える前に『ない』という答えが口を突いて出たからなあ。東京でオリンピックをしている場面というのが、頭の中にまったく浮かばなかったんです。説明のしようがないけれど、『ない』としかいえなかった」
 外れたときのことは考えなかったのだろうか。
「自分のいったことや書いたことが、どういう結果になるかという心配は、したことがない。そのとき感じたからいったり書いたりするだけ。外れたらどうしようなんて、気にしたことはない。いろいろ心配してくれる人もいるけど、私はパソコンができんから、叩かれても気づかんしなあ(笑)」

 いったい松原氏の目には、世界がどのように映っているのか。そして、驚異としかいいようがない、不思議な力はどこからくるのだろうか。本稿で改めて追いかけてみたい。

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2012年の時点で、今回の出来事を予言していた松原照子氏。パンデミックについても警鐘を鳴らしていた(写真=永田雅裕)。

「不思議な世界の方々」専用の椅子

 原稿用紙、鉛筆、コーヒー。松原氏はこれを「3点セット」と呼んでいる。
 朝目覚め、洗面、着替え、部屋の掃除といった日課をこなした後、松原氏は机の上にこの3点セットを置き、BGMにクラシック音楽を流す。モーツァルトかショパンが多いという。しかるのち、机に向かう。すると「スイッチが入る」。鉛筆が原稿用紙の上を走りはじめ、さまざまな内容をつづっていく。

 かたわらにはピンクの椅子。松原氏に情報や知識を与える「不思議な世界の方々」の特等席だ。椅子が置かれたのは2017年冬のこと。「立ったままでお話しいただいているとしたら気の毒だと、ふと思って」松原氏が購入した。椅子を置いてから、不思議な世界の方々と視線を合わせる高さが変わったと、松原氏はいう。

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「不思議な世界の方」のために、松原氏の部屋にはピンクの椅子が置かれている。

 こうして松原氏が執筆した原稿は、毎晩0時ちょうど、ウェブサイト「幸福への近道」に「本日の世見」や「本日の日記」としてアップされる。このことを知っているファンが多いため、0時になるとアクセス数が一気に跳ね上がるそうだ。

「『世見』を読んでくれてる人は気づくと思うけど、最初の何行かは、自分で考えながら書いてることが多いんよ。何でもないことを書いたり、ご挨拶をしたりなあ。準備運動みたいなものかな。そうしているうちに、ガラッと内容が変わる。そこから先は、見えたこと、聞こえたこと、感じたことをそのまま書いてる」
 こうなると、BGMのクラシック音楽は、もう聞こえないという。
「クラシックをかけるのは、私が好きだからというのもあるし、あちらの世界とつながったことを知るためでもある。音楽が聞こえなくなるのは、つながったというサインやな」

 いわゆる変性意識状態だろうか。その状態で執筆した原稿の内容を松原氏はほとんど覚えていない。「こんなことが書かれていましたよ、調べたらそのとおりでした」とプリントアウトして渡しても、「いやあ、そんなこと書いてた? 知らんわ。すごいなあ」と、目を丸くするばかりである。
 こうして日々原稿を書きつづけるようになってから、今年で17年目。書きためた原稿は、5000本以上になる。そのなかから世間を驚かせるような予言がいくつも飛びだした。一部を紹介していきたい。

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これまで書いた原稿の大半が、押し入れいっぱいに保管されている(写真=福島正大)。

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