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「わからない」を楽しむ考え方

はじめに

むぎの部屋へようこそ。
ここでは私自身の過去、
日々の生活から得た学びを
お届けしています。
何か一つでも
持って帰ってもらえたら嬉しいです。

わからないって
不安だし、
あまりいい気持ちには
ならなそうですよね。

でも「わからない」って
捉えようによっては
すごく楽しいことなんじゃないかなと
最近思いました。

今日は「わからない」という
感情について
最近の考えを書いてみました。

「わからない」という感情

「わからない」
というのはどういう感情なのかなと
ふと思った時に、
「わからない」
というのは
「わかっていること以外」
というのが一番シンプルな
感覚なのかなと思います。

そりゃそうですよね、
知らないことは知らない。
みんな自分が知っていることしか
知らないんです。

何言ってんだか自分でも訳わからなく
なってまいりましたが、
簡単に図にするとこんなイメージです。

でもここまではっきりと分断するには
少し違和感がある。

では何が足りないのかと
考えた時に、
ここに「興味」という観点が加わることで
妙に腹落ちしました。

どういうことかというと、
「わかっている」

「わからない」
の間には
「わからない」だけど「興味」はある
というぼんやりした空間が存在している
と気づきました。

「わからないけど興味はあること」
この範囲にあるものは
自分から興味を持って
「わかろうとする」こと。

そしてこのぼんやりとした範囲にすら
入らないことは
「わからない」し、「興味もない」こと
としたらどうでしょうか。

ぼんやりした範囲は次第に
「わかっている」ことに変化していきますが、
完全に「わからないこと」って
まずわかろうともしないのでは
ないでしょうか。

しかし、「わかろうとしていること」が
徐々に「わかっていること」に
変化していくにつれて、
「わかっていること」の範囲は広がっていく。

それに合わせて「わかろうとする」範囲も
広がっていくのではないでしょうか。

「わからない」から世界を広げていく

こうして「わかっていること」を
どんどん広げていく人
というのが一般的に「好奇心旺盛」と言われる人たちでしょう。

しかし世の中には、
「わかろうとする」範囲が極端に狭く、
ひどいと「わかっている」ことと
「わからない」ことの範囲が
明確に分断されてしまっている
一番最初の図のような人もいると思います。

これがいわゆる頑固者、視野が狭い人
とも言えると思います。
自分が「わかっている」ことが全て
そういう価値観で生きている人たちは
残念ながら少なくはないはず。

というのも私の実家の爺さん婆さんたちは
このような傾向が強いなと思います。。。

ある意味「わからない」ものは「わからない」
と開き直っていて
潔いとも言えますが、
果たしてこれで楽しいのかな?
と個人的には感じてしまいます。

「わからない」ことは
「わかろうとしない」限りは
ずっと「わからない」ままです。

つまりずっと変わらない狭い世界の中で
生き続けることになります。

しかし「わかろうとする」ことで、
自分で自分の見える世界を
広げていくことができます。

それは「わからない」ことが
多ければ多いほど可能になり、
おそらく私たち人間の一生という期間では
全てを知ることは到底不可能です。

だから一生かけて世界を
広げ続けることができるんです。

だから「わからない」ことに
対して嫌悪感を抱くだけではなく、
自分の世界を広げるためのきっかけとして
「わかろうとする」
ことを始めてみてはいかがでしょうか?

おわりに

世の中に関心を持つことはいいことだと
わかっていても
どうしても他人事だと思うと
「わかろう」とは思いにくいものですよね。

しかし、その他人事を
あくまでも「自分の世界を広げるため」
と自分視点に切り替えてみることで
今まで全く外の世界の出来事だったことが
徐々に「わかろうとする」ことに
変わっていくんじゃないかなと思います。

その方が人生退屈せず
過ごせそうじゃないですか?

長いようで短いこの人生で
どこまで自分の見える世界が広がるか
この先が楽しみですね。

これを機にあなたも
今まで「わからなかった」ものを
「わかろう」として
世界の視野を広げてみてはいかがでしょうか。

最後までご覧いただき
ありがとうございました。
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持って帰ってくださいね。

いってらっしゃい。

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