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何かを書いている(続きも書くぞー)

冷たい雨ならば少しくらい寂しい気持ちにもなれるのだけれど、日差しが照りつける(はずの)真夏の雨は、少し生暖かく、否応なしに体にまとわりついて離れない。それは汗を洗い流すためのシャワーなどではなく、再び汗をかくために自分に与えられたささやかな拷問のようなものなのかもしれない。
だから僕は夏の雨を嫌った。もしくは夏の雨はいささか降りすぎるからかもしれない。あるいはその雨がある退屈な一日の夕暮れ時を思い出させるからかもしれない。何か具体的な記憶が僕の体の中で渦を巻いて、全てを一つの記憶に集約させているような気もする。しかしその記憶は知らず知らずのうちに磨耗し、肝心な細部は跡形もなく消え去り、時に他人の思い出話と混じって、いかにもありきたりの「夏の思い出」にすり替わってしまう。自分がかつてあれほど心を動かされた誰かの一言も、僕の小さな脳味噌はそれを記憶しやすいように改変し、思い出されやすいように要点だけをまとめたものと変えてしまう。かつて僕が感じたはずの生の息吹(と言うと言い過ぎだろうか)は、漠然とした一種の格言めいたものになってしまい、残っているのはただ歳をとってしまったという、時に目を背けたくなる現実だけだ。それはまるで夏休みの最後の日に、新聞に書かれた八月の天気予報を参照しながらいかにも起こりえた事実(その中には少しばかり本当の事実も混じっていた。しかし後になってその日記を読み返してみると、そこに書かれた幼稚な記録は、全て現実が現実であるための具体性を欠いているように思えた)を捏造して宿題の日記を書くように、どれも生気を欠いた、陳腐な出来事の集積であった。
そのような混沌として平坦な記憶の中に、時折輪郭のはっきりとした記憶めいたものが見つかることがある。それはまるで全てのものが灰と変わった焼け野原から、ふとした瞬間に小さなスプーンが見つけ出されるように、誰も知りえない理由から保存され、誰かが拾い上げるのをただ待っているだけの記憶だ。僕は偶然(あるいは天啓から)、その記憶を手に取ることになった。それはあくまで断片に過ぎないものであったが、断片であるがゆえに、要約された記憶を取り戻す鍵のようなものとなった。つまりそれはある夏の退屈な一日の鮮明な記憶であるとともに、すでに失われたいつかの僕を、あるいは長いとも短いとも言えない退屈な僕の人生を、ある角度から描き出したものであるとも言えるだろう。しかし、それはもしかするとそれはただの模造品であるかもしれない。しかしそれが本当のものであるか、あるいは偽りのものであるか、それを確かめる術は残されていない。だから僕が書くものは、それが事実であって欲しいという、ささやかな願いのようなものなのだ。

その夏はひどい雨がよく降ったと記憶している(これは新聞記事的記憶)。四十度近い暑さになったかと思えば、激しい雨がアスファルトを濡らし、川を茶色く濁し、乾きかけた洗濯物を洗濯直後の姿へと生まれ変わらせた。激しい雨が降るかもしれないという予報は、夏の間特に予定もない僕にとって、外出を控える格好の理由となった。それに家には傘が一つもなかった。少し前に、コンビニで買ったビニール傘を、僕は遠くのコンビニに忘れてきたのだ。新しい傘を買いに行くその道中で、激しい雨に打たれてしまったら元も子もない。
家には読んでいない文庫本(ブックオフで安い古本をまとめ買いするのが僕の少ない趣味の一つだった)が、うっすらと埃を被ったフローリングの上にたくさんあった。そのおかげで、最初の三日ばかりは雨降りの毎日も、退屈を感じることはなかった。むしろじっくりと腰を据えて読書する絶好の機会であるとも思えた。実際は腰を据えたのではなく、むしろ薄い敷布団に寝転がりながら本を読んでいたのだが。
僕は読みかけのまま放置していたトルストイの長大な小説を読み、それに飽きると買い溜めしていた素麺を茹で、めんつゆをそのままかけて食べた。わざわざつけ汁を別皿に入れることはしなかった。孤独に生活するのならば、皿を一つにまとめた方が洗い物も減る。しかし僕の狭いアパートの流し台には、汚れた皿が毎日ふたつずつ重なっていき、シンクの端の方には干からびた素麺がこびりついていた。
僕はその時大学の4年生で、東京の実家を出て京都で下宿生活を送っていた。本来であれば就職も決まっていて、大学生活の残りを余生のように、穏やかに生活するべき期間だ。しかし僕はその頃一つの内定も得ていなかった。全く就職活動をしなかったわけではないが、とある小さな保険会社の面接の最中に、ふと何かの糸が切れたように、僕は働こうとの意思を失ってしまったのだ。
「長瀬さんはうちの会社に、どのような利益をもたらすことができるのでしょうか」と、額の広い痩せた中年の面接官が僕に言った。
「安らぎを与えられると思います。僕は、ガツガツと仕事ができるタイプではないので」と僕は答え、退出を促されたわけでもないのに狭苦しく、いささか冷房の効き過ぎた面接室を後にした。それが最後の面接となった。

(つづく)

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