13年前の私
私は炬燵に入り携帯でTwitterをしていた。
あと10日ほどで私は地元を離れ千葉で就職することが決まっていた。
そう私は自由になれるのだ。
何年も待った。やっとだ。
Twitterでは、関東の情報や同じ趣味を持つメンバーの情報が手に入る。こんな田舎では経験できないことが、電車に揺られ数十分で経験することができる。わくわくするなという方が無理な話である。
そのわくわくはTV映像でかき消された。私は人間の無力さを改めて実感させられ、何もできず、ただただ炬燵に横になりニュース映像を見ながら、隠れながら涙を流すしかなかった。
誰もが途方に暮れ、楽しむことが悪のように感じられた。たった数日なのに、長い時間が流れたように感じられた。
そもそも私の上京に不満しかなかった母親は、そのニュースが放送されてからはより一層私を離さまいとした。
しかし学校推薦で面接をし、就職した会社には私の後輩たちの将来も関与してくる。ここで辞退などできるものか。そう説得し、三月二十一日私は飛行場を飛び立った。
飛行機、羽田空港、ゆりかもめ、電車。一人で経験するなど初めてのことしかなかった。
その日初めて大きな揺れを実感した。ニュースで見ていた揺れ。恐怖心、それすらも十回ほど経験すると慣れてしまった。眠りにつく頃には疲れもあり、また揺れてる。程度の感情しかなかった。そしてそんな事実に改めて恐怖を覚えた。
あれから十三年。
私は夢見ていた職業に就くこともできず、何なら就職もできておらず、借金をし、無駄に消費だけをして生きている。
年始の大地震、著名人の訃報、そんなニュースを見ながら当時と同じように涙を流すことしかできない無力な人間だ。
これから一年をかけて、自分はどうなっていくのか。一年後果たして生きているのか。
そんなことを考えながら数年ぶりにWordを使い、心向くままにこんな幼稚な文章を書く。
2024.3.11
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