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【8日目】ココロとアタマ、そして『三つのパーツ』(ニンゲンのトリセツ)

◆『感情』と『考え』のギャップ

 人間には様々な感情があり、それらはココロの「モトの量」とその「増減」によって起こる、という話をしていますが、だんだんイメージがつかめてきたんじゃないでしょうか?

 特に『好き嫌いゲージ』というものを思い浮かべることによって、モトの『増減』がつかみやすくなるのではないかと思います。このツールを使って、ご自身の感情が「今、なぜ起こっているか」をぜひ検証してみてくださいね。

 ですが、僕たちは普段、いつでもこの「感情」にまかせて暮らしている、というわけではありませんよね。

 例えばこんなシーン……道で知らない人とすれ違うとき、ドン! と肩がぶつかってしまった、相手は気づいているのかいないのか、そのまま立ち去ろうとしている……こういう場面を想像してみてください。
 大抵の人はこういうとき「怒り」を覚えるのではないかと思います。怒りの度合いというのもあると思いますが、なにがしか「イラッ」とする感覚があるのではないかと思います。
 ですが、実際の場でその怒りをモロに表現して、相手に掴みかかったり、ボコボコにぶん殴ったりは(あまり)しませんよね?

 それはどうしてかというと、そいういうことは社会的に「良くないこと」という

『考え』

があるからですよね。ムカつく相手は誰であろうと徹底的に攻撃していいわけではなく、ある程度平和な社会を生きていこうと思ったら、少しのイライラはガマンすべき、というのは、今の社会では割と当たり前の『考え』だと思いますが、どうでしょうか?

 ではこの『考え』というのは、どこから来ているのでしょうか?

◆「アタマ」と「ココロ」のケンカ

 単純に考えて、それは「アタマで考えている」のですよね。つまり、「アタマでいろいろなことを考えた結果」として、僕たちはわき起こってきた感情にまかせた行動を取るか、それともガマンして別の行動をとるかを決定しているわけです。

 先ほどの極端な例はまだ分かりやすいのですが、日常ではもっと些細なことで、このように「ココロから出てきた感情」と「アタマが考えた結果」が違う、というシチュエーションに遭遇するのではないでしょうか。
 例えば、仕事が立て込んでいるときなどは、なかなか休憩が取れなかったりしますよね。本当は一休みして食事でもしたいのに、その一分一秒を仕事や勉強にあてないと間に合わない……こういうのもこの「休みたいココロ」と「間に合わせたいアタマ」のギャップから起こる状況です。

 こんなふうにアタマとココロのギャップがある状態が続き、その差が広がっていくにつれ、僕たちは「ストレス」というものを感じるようになっていきます。そして、やがてストレスが限界に達したとき、ココロは「これ以上はムリ!」というサインを出し、それをさらに超えてしまうと、いわゆる「心の病」という状態になってしまうこともあります。

 こういう「アタマ」と「ココロ」のギャップが起こることを、僕はモトの観点から

『アタマとココロのケンカ』

と呼んでいます。みなさんも体験が(しょっちゅう)あると思うのですが、アタマとココロはよくケンカをするのです。

◆新しい「ニンゲンの構造」について

 そして、これに関連してここでもう一つ新しいことをお伝えします。それは前回の最後にお話しした、僕たちという存在の『構造』についての話です。それはすなわち

『人間は三つのパーツの集合体である』

という話なんですけど、実はモトというものを通して観察すると、人間は三つのパーツにはっきりと分かれていることが分かるのです。

 一つは

『カラダ』

です。これは分かりやすいですね。そして次は

『ココロ』

です。これも、今まで説明してきたので「ある」ことは分かると思います。人間はこの「心と体」という存在である、というのが僕たちの一般的な認識だと思うのですが、モトを通して見ると、もう一つパーツがあることに気づきます。それは先ほど出てきた

『アタマ』

というパーツです。

 ほら、アタマとココロはしょっちゅうケンカするんですよね? ケンカって、一人ではできないでしょう? つまり、アタマとココロ、それらは本来『別のパーツ』なのだと考えると、これに合点がいきます。
 実際にモトの観点からすると、モトでできているのはあくまで「ココロ」でして、ココロが活動する動機は常に「モトあつめ」です。僕がアタマと呼んでいるパーツは「モトの増減」を気にしていませんし、そもそもモトの量とは関係ない働きをします。ですから、ココロとアタマは全然別の働きをする別の臓器のようなものだと考えられます

 こうして考えていくと、僕たちはこの『カラダ』『ココロ』『アタマ』という

『三つのパーツの集合体である』

という結論になるわけです。

◆ニンゲンは『三つのパーツの集合体』だ

 実は、この「アタマとココロは別のパーツである」という考えを使うと、僕たちのココロの中で起こっている様々な葛藤やストレスの原因が、想像以上にすんなりと理解できるようになります。もしご自身に「自分の心が分からない」という思いがあるのでしたら、それは「アタマとココロの切り分けができていないからだ」と考えてみてください。そして、ココロの欲求と、アタマの出している答えがどう違っているのか、それを考えると答えや解決のヒントが見えてくるかもしれませんよ。

 さて、この『三つのパーツ』のお話は、モトについて考えていく上で、とてもとても重要な知識となります。ですから、それぞれについてもっと詳しく掘り下げていきたいと思いますので、みなさんは今回説明したこの

『人間は三つのパーツの集合体である』

ということを、絶対に忘れないでくださいね。


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「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)