人に話したくない、黒歴史中の黒歴史「受験失敗」から人生の学びへ②

こんにちは。mie(ハンドルネーム)です。

前回、受験失敗のエピソードの中で、こんな大事な時期に網膜剥離という病気になってしまったことをお話しました。

その続きです。
さて試験当日。
その時の心持ちは全く覚えていないのですが、当時から海外や語学に興味があり国立外国語系大学を第一志望にしていた私は、絶対に英語の試験を落とせないというプレッシャーがすごかったのだと思います。

英語の試験の時間になり、試験開始。

そして、試験の途中。

何が起きたのか理由もよくわからず、いきなり呼吸がうぐっうぐっと苦しくなり試験を続けられないほどになりました。
試験官の方に、外で少し休んでもいいかと聞くと、もちろんダメに決まっている。一度出たら、もう教室には戻れません、と言われ、分かってはいたことですが、とりあえず呼吸がおかしくなりながらも最後まで解けるところは解いたのか、どう過ごしたのかもう全く覚えていません。教室を出たら終わりだ、ということだけがその時の強い思いだったのは覚えています。
英語の試験が終わり、ショックで大泣きをし、トイレに駆け込みました。

今思えば、これは過呼吸だったのだとわかりますが、当時は過呼吸なんていう言葉すらも知らず、30代頃に、日本の若者のストレスの話しで過呼吸という言葉を耳にした際に、あ、私センター試験の時これだったんだと直感で分かりました。

その後、もちろんセンター試験の英語の結果は悲惨なもので、結局第一志望の大学に行けるわけもなく、過信もいいとこ半ば適当に選んでしまっていた私立の滑り止め大学に行くことになったわけなのです。

センター試験後は、登校日ももぬけの殻状態で(←ちょっとカスカスのさなぎみたいなものをイメージすると面白い)、まともに授業に出られず、漫画でよくある不良生徒のように保健室に入り浸っていた時期もありました。

この受験失敗について、どうして私が無意識に黒歴史カテゴリーに分類してしまうのかというと、これが単なる受験失敗とは違うからかもしれません。

・上には書いていませんが、当時父親と最悪の親子関係にあり、高校3年間口を聞かないほどの状態で、きっと「今思えば」心がとても不安定だったこと。

・大事な時期に、風邪でもない、怪我でもない、熱でもない、網膜剥離という大きな病気がやってきたこと。

・そのことで感じた受験へのプレッシャーが相当なものだったこと。

・受験当日に何の前知識もない過呼吸になったこと。

・私語厳禁の試験途中に試験官の方に声をかけ、休みたいと伝え、周り友達も「え、mieどうしたの?」みたいな雰囲気になったあの何とも言えない雰囲気。

こうしたすべてのことが、自分の受験時期の思い出となってしまったわけなのです。

うーん辛かった。一言、受験に落ちたといっても、あまりにもいろいろなことが渦巻きすぎていて、自責、虚無感、無価値観、自己否定、世間に認められない恐怖、父親との確執(↑角質じゃないよーん!)への絶望、試験に受かれなかった罪悪感(親には私立行くお金ないよと言われていたので)、普通じゃない病気にかかった悲劇、などなどあらゆる思いが自分をぐしゃぐしゃにしました。
私はまじめの塊だったので、推薦という有難い方法でさえも、なぜかずるいことのように思える価値観を持ってしまっており(父親ゆずりのド根性人生的考え方。。)学部をそこまで選ばなければ、推薦枠で国内トップの私立大にいけるほどの成績でもあったので、私より成績が低い子が「やすやすと」(←性格悪すぎ!でも当時はそう思ってひねくれてました)そうした私立大に入っていることも、ものすごく悔しかったですね。私が、国立を落ちて行くことになった私立大学の方が学歴としては下でしたので。
私は学部をしっかり選んでるんだから!って虚勢はってました。
もう書いていて学歴コンプレックス丸出しで、恥ずかしすぎますね。昔の自分の視野の狭さが、泣けてきます。。ああ、お許しを。

そして、後に書きますが、なぜこんなことが次々に起こったのだろうという後悔に似た気持ちが止まりせんでした。挫折感がすごすぎましたね。そして自分のせいでこうなった、という考えがぐるぐるしてました。
今でも心になにか鈍いものが引っ掛かってる感じもするくらいなので、その時は、このことを学びにするには傷が深すぎて、じっくり振り返ることができませんでした。

ただ、進路という意味だけでいうと、現在まで20年間その後の人生を過ごしているわけなのですが、もしあの大学に行っていたら、、とよぎることは結果的にはほとんどありませんでした。むしろ、その私立大学で彼氏もでき、けっこうはじけて楽しく、フランスに留学し、なんだかそれはそれでけっこう楽しんじゃっていたからなのかもしれません。


外国語大学では日本語専攻をしていましたが、現在の私は日本語講師のエキスパートになりたいとは全く思っていないので、それも最終的には学ばなくてよかったのかもしれません。


しかも、今の旦那さんと大学が同じなのですが、年が違うため現役時には知り合いではなかったのですが、同じ大学だったことがきっかけで、交流が深まったのは確かだったので、落ちなければ今もなかったんだなと思うと、やはり全てはつながっているんだなと思えます。


いずれにせよ、人生どうなるかなんて、やっぱりその時にはわからないものなんですよね。
ですが、受験まっさかりの高校三年生の子達に、受験に落ちても人生大丈夫だから気楽に、なんて気軽なことを言うつもりは到底ありません。
皆それぞれが、それぞれの立場と心持ちで、今という瞬間を生き抜いているのですから、家族でもない私はただただその姿を真剣に見守る、というような立場でいたいです。
あとは、このお話を聞いて、世間には色々な人がいて色々な経験をしてるんだなーと少しでも心落ち着くネタとして扱ってもらえたら幸いです。

そして時を経てこの挫折経験が今の私の人生に大きな影響を与える出来事の一つとなっています。

話しは少し変わりますが、現在私は、

子供が自分の本質を大切にし自分の人生を生きること。
そして、自分自身もそうあること。
そして全ての人が皆本質に近づき自分らしく生きて、互いにより充実した人生を送るにはどうしたら?

といったテーマについて、コンシャスペアレンツジャパン®のたかもりくみこさんやその師事するShefali博士の本やコンテンツなどから学びを深めています。

子供が(自分も)どうしたら自分という本質を大事にしながら今もこの先も自分らしく生きれるのか、常々そのことを考えていると言ってもおかしくないくらいこの学びへの熱が冷めません。毎日毎日そのことを考えているくらいです。


なぜか?

この受験失敗の話しもその一つの大きな出来事と言えるのでしょうが、私は当時おそらく両親との関係で「本当の自分」を生きれず、それが後々起こる様々な辛い出来事にもかなり関係していたんだと今はわかり、このような思いを絶対に自分の子供にさせたくない、という気持ちが腹の底から湧き起こってくるからです。
※受験に落ちたのは両親が悪いとか、逆に、両親との関係が良いと受験に絶対受かりますという話ではありませんよ

子供の本質とは、自分の本質とは、家族の本質とは、自分はどう在ればいいのか、自分の親ってなんだったんだ、等々追及することが非常に多く、扉を開けたらまた次の扉にぶち当たるような感覚もあるのですが、ある時そういうことか!という閃きが起こり、この学びは進めば進むほど、とても深く本質的で、「人生」という難解を丁寧に丁寧に紐解いていくような面白さがあるのです。
是非、たかもりくみこさんや、Shefali博士のことを覗いてみてください。本当に心を打たれますよ。


最後に、話を翻すようですが、、
自分を生きれなかったことで起きた数々の出来事を嘆き、悲しみ、絶望し、絶対に自分の本質に辿り着きたい、子供や周りの人間の本質をできるだけ見極めたいと始まった私らしさ追及の旅なわけですが

「自分を生きる」

ということも、この文字に表れていることを超えて、ものすごい奥深いことかもしれないと今はなんとなく感じ始めている部分もあるんです。
自分を生きれなかったその自分。その自分が体験した自分の人生。それもまた自分の人生の旅だった。(現在進行中ですが)
何度も何度も涙を流し、ありえないと思うような経験をしたことも、感情としては割り切れない部分もまだまだあるのですが、それがmieの人生といえる人生なのかもしれません。

まだまだ旅は続きますけどねーん!(最後はやっぱりお気楽(笑))

最後までお読み頂きありがとうございました。




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