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知の星空を作ろう

読書家の皆さん

こんな経験てありませんか。僕たちにとって本を読むのと同じくらい、次どんな本を読むか選ぶことは楽しいことですよね。今回はどんな本に出会えるのかワクワクしながら本屋を訪れていることと思います。本を選ぶ時って、僕たちが見つけているというよりも本が私たちを見つけているというような気がします。何百冊も並んだ本棚の中から突然一冊の本が輝いて見えるような瞬間があるのです。僕たちの手に取られることを待ち望んでいたような本の意思を感じることがあるのです。そんな中で毎回不思議に思うことが、前回はその本を見た時には全く何も思わなかったのに後日同じ本を見た時に強烈に読みたくなる経験です。僕たちの中の「何か」が確実に変わったということを感じます。この違和感が伝わっているでしょうか。前回本屋を訪れた時の自分とは違う自分になっているという感覚です。僕たちはずっと自分が連綿と続いているという実感がありなかなか自分の変化に気づくことは難しいです。子供の頃、久しぶりに会った親戚に「大きくなったねと」言われたでしょうが、自分の中ではあまり大きくなったという認識はなかったでしょう。ただ僕は、本を選ぶという行為の中で自分の変化を素朴に感じるのです。

ではその「何か」とは何でしょうか。それは経験です。前回素通りした時の僕に新しい経験が足されてできた今回の僕にはその本が興味深く思われたのです。経験が僕たちの認識を作っているというのは経験論の考え方です。その源流は17世紀のイギリスの哲学者ジョン・ロックにまで遡ることができますが、考え方は私たちの社会に今でも根深く残っていると考えられます。例えば、転職の際に最重要視される事柄の一つが職務経歴です。この人はこんな仕事を経験してきたから、あんなことが出来るだろうという推論がなされその人が判断されます。つまり、経験が人をつくっているという経験論に基づいて人を判断しているのです。経験論が正しいか否かはさておき、「一般的な」の考え方として受け入れられています。普段、経験論的に考えていることを意識することは特段ありませんが、まさにそのことが僕たちの中に深く入り込んでいることを示しているのです。

今回は僕もこの経験論的な立場に立って先の不思議な現象を考えてみたいと思います。読書という領域に絞って考えてみると、本屋に訪れるまでに読んだ本によって形成された興味で僕たちは本を選びます。前回と今回で選んだ本が違うということは、その間に読んだ本(経験)によって興味が変わったということです。そうやって僕たちは意識的であれ無意識的であれ毎回更新される興味によって本を選んでいます。むしろ変わらざるをえないのです。僕の関心はこの変化は計測可能かということです。例えば、ある人の読書遍歴を辿ることができれば、次にどんな本を選ぶかある程度見当がつくのではないかということです。読書によって形成された小さな興味が点在する空間を仮に興味空間と呼びます。そして関連するような小さな興味は集まりあって、より大きな興味を形成する宇宙のようなイメージです。それは各興味を星に見立てるとあたかも星空のように見えると思います。それが分かれば、あなたは今どのようなことに興味がありとするとこんな本を次に選びそうだよねという予測が立てられるということです。僕は予測を立てることよりも興味空間を可視化することに関心があります。この本を選んだということはどうゆう興味空間から計算されていて、その本を読むことによってどう興味空間が変わるのか。そういった刺激(新しい読書)によって誘発される知のダイナミズムを観測してみたいのです。

平たくいうとあなたが今どのような知に興味があるかまたその変化がわかるということですが、それは言葉よりもっと厚みを持っているように思えるのです。なぜなら、興味は無意識的なことがほとんどだからです。人間が自分のことについて意識できているのは1割程度だということを聞いたことがあります。割合の多寡はあるでしょうが、要は自分でも自分のことはよくわかっていないのです。タイプだと思っていた女性像と全然違う女性に惹かれることもあるでしょう。それは自分の無意識に刺さっているからだと考えられます。興味空間を可視化することは、その無意識を掬い上げることにほかならず、「僕ってこんなことに興味あったんだ。」というメタ認知も捗ると思うのです。僕の目的はここといっても過言ではありません。興味という切り口から自分の核心に迫ってみたいのです。僕は読書に関して雑食タイプです。ギャルのエッセイから古代の哲学書まで何でも読みます。バラバラに見える読書経験が実は深層の部分では同じ興味からそうなるように駆り立てられていたと発露したら面白くないですか。僕は毎回なぜこの本を選んだのかを考えるのですが、いつも自分の感覚よりもチープな答えしか出てきません。自分の腹落ちと意識的に考えられることには乖離があり、それを埋めるためにも興味空間が必要なのです。興味空間の前提には「なんか説明したいけど、うまく言葉にできない。」この感覚は大切なことが無意識に埋もれているからではないかという仮説があります。ちょっと少しの間、本を読むペースをゆるめてこの仮説を模索したいと思います。

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