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タタール人の砂漠を読み終わった


 軍人として、攻めてくる敵を迎え撃つロマンを渇望する男たち。彼らは自国の端っこに建つ砦に勤務している。砦はあまりにも味気ない、夜寝ようとすると水槽から水が垂れる雑音に邪魔されるし、窓から見えるのは恐ろしいほど何もない砂漠だ。

 この砦に取り込まれたのは純粋な新人将校、ドローゴである。この小説は、時間が過ぎていくことの恐ろしさが描写されている。

 人生、映画やドラマで観るような「絶対こんな目に遭いたくない」と思う目に遭ったとしても、時が経てばショックは薄まる。「まあでも、この先の人生は続くしなあ」と思えば涙を呑めるかもしない。

 しかしこの物語では、何も起こらないショックを時で癒そうとしてさらに何も起こらないまま延々と、延々と時が過ぎていく。どこで「あ、もう人生は続かない」と気がつくのだろう。気がつかないまま死ねればいいのになあ。

 私はこの本を「森見登美彦が面白いといった」的なことが書いてあった帯を見て買ったため、そこそこ有名な古典であることを知らなかった。何も起こらないを書く、古典らしい重厚さに圧倒された。そっか~、古典だから知らない漢字ばっかり出て来たんだ。

 この物語を悲劇と捉えてただ感傷に浸るか、児童文学のように明確な教訓を読み取るか、人によって違うと思う。私は読み取った教訓をノートに書いてしばらく見つめて、そのページが目に入らぬように、続きの日記は次のページをめくって書き始めた。

 感傷に浸ったのち、この思いを母に共有しようとあらすじを話したら、今年56になる母の機嫌がものすごく悪くなった。ごめんなさい。

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