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「近距離恋愛」

目を瞑ると幹線道路を走るトラックの音が聞こえた。

夜行バスは僕を乗せて北へと走る、3ヶ月ぶりの今日という日を僕は少しだけ煙たいと感じていた。

きっかけは5年前、僕が夢を追うために少しばかりの荷物と、リュックからはみ出した不確かな才能だけを持ち上京を決めてから、彼女とは遠距離恋愛になっていた。

それからというもの、3ヶ月というスパンで故郷へと帰郷するのが2人のキメごととなっていた。

しかし、5年と言う歳月はお互いの人生を変えるには充分長く、夢を追うフリーターの僕と、就職し働く彼女との間には、確かな溝が感じられていた。

そんな事を考えながらも、生ぬるい温度に身を任せながら揺られていると、ふと、どこかで聴いた事のある音楽が聴こえて来る事に気がついた。

隣の女性のイヤホンから微かに音が漏れている、注意すべきか?知らぬフリを通すべきか?迷っていると、凝視し過ぎていたせいか、女性の方から「すみません!音漏れてましたか?」
と声をかけられた。

僕はどぎまぎしながらも「少し…」と返事をすると、女性は「すみません、、少し小さくしますね」と快諾の返事を貰えた。

それからというもの次のサービスエリアまで何事も無く夜行バスは走り続けた。

サービスエリアに到着して、コーヒーでも買うか、と席を後にして、自販機へと向かうと、先程の女性が自販機の前に立っていた。

少し困った表情の女性に思わず僕は声をかけてしまった、「どうかしたんですか?」と、すると女性は「間違えてコーヒーのボタンを押してしまって、先程のお詫びも兼ねて良かったらコーヒー飲みますか?」と、僕にコーヒーを差し出してきた。

僕は「いいんですか!?」とありがたく受けとった、音漏れの事はあまり気にしてはいなかったのだが、コーヒーは買おうと思っていたのでちょうどよかった、お礼を兼ねて女性の飲みたいものを奢る事にした、すると女性は「そんな、大丈夫ですよ!」と謙遜していたのだが、僕の気が治まらないので、という事で了承してもらい、ジュースを奢る事に成功した。

それから少し喫煙所で話をする事になった、煙草の話、お互いの目的地の事、僕の帰郷の理由、女性がこれから向かうライブの話、短い時間ではあったが少し仲良くなった気がした。

バスに戻ると、またお互い隣の席に座る、僕は心做しか穏やかな気持ちになり、隣の女性に尋ねた、「またバンドの曲を聴くんですか?」と、そうすると女性から「はい、目的地までまだまだなんで…、そうだ!よかったらお兄さんも聴きますか?」と、思いもよらぬ返事を受けとった。

僕は思ってもいない提案に少し驚きながらも「はい!」と返事をしていた。
女性から渡されるイヤホンを耳に付け、女性の好きなバンドの曲を聴くことにした。

片耳のイヤホンから流れてくる曲は、ポップでありながらどこか切ない歌詞のロックな曲だった。

とても日常的で自分と重ね合わせられるその曲が僕の心を揺らす事はとても簡単だった、刹那、流れる涙、窓ガラスに映る自分はとても情けない顔をしていた。

何かを察したかの様に隣の女性はハンカチを差し出してきた、僕はそのハンカチで涙を拭う。

感謝の言葉も告げられない僕をよそに女性は語り出す、流れている曲の事、曲が出来た経緯、優しい言葉、その時、僕は温かさ以上に別の感情を抱いていたのかもしれない。

夜行バスに乗っている時間だけの仲、深夜の高速に揺られる心、僕はお揃いのペンダントを握りしめそっと目を閉じた。

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