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なぜ統合失調症の私がプログラマーになったか

私は障害者枠でパートでプログラマーとして働いている。しかし、皆さんが思い描くようなふくよかな(偏見ですみません)バリバリとデスクに向かうようなプログラマーでは無い。

細身で(最近太ってきてお腹が出ている😭)デスクの周りでぼーっとしているプログラマーである。

しかし、技術としてはアマチュアレベルで簡単なシステムぐらいなら作れるだろう。この前、会社の経理向けに、Accessで収支管理システムを提供した。
そう、私の仕事は対お客様向けのシステムではなく、社内向けの便利システムを開発している。だから、だいぶシステムの出来栄えや納期に関しては大目に見てもらっている。

私は病気になる前に大学院まで卒業しているが情報系では無い。(一応、工学部)

いつの頃からか忘れたが私は研究者になりたかった。アインシュタインに憧れていたのだ。
私もいつか偉大な発見をして人類の発展に貢献する。そんな事を夢見ていた。

しかし、現実は甘くない。

自分の無力さに打ちひしがれる日々が待っていた。

そして、逃げ出した。研究者という道から。

しかし、諦めきれず、研究者の道に舞い戻るが、統合失調症になるなど紆余曲折があった。

私の統合失調症の話は⇩から読めます。よかったらどうぞ。


病気から復帰して就職するにあたって障害者就労移行支援事業所を利用した。
その時から研究者への道は諦めていた。(ほんとは、数年間何かある度に求人情報を探すなど未練たらたらだった)

今年、ツイッターをやり始めて、発信を続けていく中で自分のアイデンティティと向き合うことになるのだが、その時にようやく、サイエンティストというアイデンティティは私の中で昇華した。

それまで、会社の人にことある毎に「私はサイエンティストです」などと言っていた。

私の人生はブレブレなのだ。

そう、実はタイトルの「なぜ統合失調症の私がプログラマーになったか」の答えでもある「子供たちに現場で使える実践的なプログラミングを教えたい」という夢も今では本気で叶えたいのかかなり怪しい。

お世話になった障害者就労移行支援事業所の社長に「自分に合う会社が無ければ起業すればいいじゃない」という単純な考えに賛同して、私は起業も夢見ていた。

起業するなら何がいいかな?と考えていた時に教育入院中にある看護師に「あんたは恵まれない子供たちへ奉仕するのが良いよ」と言われたのを思い出した。

それらを組み合わせた結果、生まれた夢が「子供たちに現場で使える実践的なプログラミングを教えたい」だ。

動機は何であれ、「夢」は今という現実を動かす「エンジン」なんだ。

私はその夢に向かってひたすら走った。

走りすぎて夢をどこかに置いてきてしまったが、またいつか拾えば良いだろうと思っている。


ともあれ、もうすぐプログラマー歴も5年目になる。正直、統合失調症という病気にプログラマーは向いていないと思う事は多々ある。
しかし、会社の寛大な措置と上司に恵まれ今まで何とかやってこれた。
私は意識していないのだが、会社の人曰く、プログラマーの適正の一つは「論理的思考ができる」かどうからしい。私は出来ているのだそうだ。
私の場合、吃りはあるが、統合失調症の後遺症の一つである認知機能の衰えは無い。

ちなみに成長願望は強いですがエンジニアとしての高みは目指していないです。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

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