変化に疲弊する日本人と、変化を楽しむイタリア人(1)
海外から仕事を終えて日本に戻ってくると
驚く事がよくある。
それは、一時的であっても、半年前には日本に僕もいたのに、
いたるところに変化が見られるから。
新しい商品、新しいサービス、新しい施設、新しい社会の動き。
支払い方や、大学受験の方法など、
何から何まで一瞬にして変わっていく日本。
季節が移り変われば、そこで住み暮らす人の生活も劇的に変わる。
それは、イタリア(ヨーロッパ)では見られない
日本(アジア)独特の光景である。
小さい頃は、コンビニに行けば新しい商品があって、
それを純粋に楽しめた僕がいたが、
最近はそれにフォローできないことも多い。
「皆、疲れないのかな」とさえ、思ってしまう。
その劇的な変化が見られる日本が
他の国から来た旅行者を魅了する事は理解できる。
ただ、新しい商品や社会を創造するためには、念入りな準備が必要で、
それに、一般大衆が順応していくのにもかなりの時間がかかる。
目新しい事で生活が溢れていると確かに心が躍りワクワクするが、
それが傾向としていきすぎて、
今の日本社会や日本人は疲弊してはいないだろうか。
…
イタリアでは、そういう事はまず起こらない。
僕は今から10年も前にイタリア北部のコモに留学したが、
今現地に戻っても、商品も、サービスも、施設も、社会の動きも、
言ってしまえばバスの時刻表も、
それぞれのレストランのメニューも、当時のまま、変わらない。
…
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続く。
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