インタビューを受けて、「言語化」について考える
以前インターンをしていた企業の先輩から、記事に使うからと留学経験をテーマにインタビューを受けました。インタビューをする側というのは何度か経験があるんですが、されるのは初めてで少し緊張しました。
留学にいくきっかけやそこで学んだこと、そこでの変化やその後の人生選択まで、1時間半たっぷりとお話ししました。
インタビューを終えて、自分が普段している言語化とはまた違う難しさを感じたのでここに書き残しておこうと思います。
私は普段から毎日noteを欠かさず書いているし、どちらかというと言語化は得意だと思っています。というか、こんなに自分のありのままを文字起こししてる人いる!?ってレベル感です。私のことをリアルに知っている人に見える状態でここまでさらけ出すのには賛否両論あるようなのですが、私自身は露出をコントロールしつつ自分なりのペースで書いているつもりです。
そんなこんなで文章にすることにほとんどNGがない私は、ありのままを残そうとなるべく自分が得た刺激や感情の動きは描写するようにしているつもりでした。
でも、インタビューを受けたら私はまだまだ自分のことを文章にしきれていないぞと思ったんです。そもそも自分の切り口と物事の入りが違います。こういうことだったんですか、と言われると、それは違う、それはそう、と明確になるんです。逆に、自分ひとりだったらこうやって話を持っていくなと感じても、インタビューが必ずしもその流れ通りになるかはわかりません。自分には自分の癖があって、そこからしか言葉に帰られていないのだとわかりました。もう少しだけ客観的な視点で欠けていると思っていた分、新たな発見となりました。
友人と話すことも、これに近いことが起こります。こんなに自分の話ばかりできないのでまた少し感覚は変わりますが、他者を通して自分を見直すことができるんです。それを目的として特化した行為が近頃よく聞くようになったコーチングかなと思います。実際に自分がコーチングを受けたときの感覚に、インタビューは少し近いものがありました。
私はセルフコーチングのように、日々文章と向き合っているわけですが、たまに人を通してみるのもいいかもしれないと思ったのが今回のインタビューでした。
言語化自体の困難さより、視点を変えて自分を見ることのほうが数倍難しいと思います。そういう文章も今度意識して書いてみようかな。どこまでメタになれば普段の癖からある程度抜け出せて、それでも抜け出せない境地が何なのか気になるところではあります。そもそも今ある言葉が私の言語化の限界だから、やっぱり言葉のインプットも併せて必要になりそうです。
またやってみたいことが増えました。これはチャレンジングそうですが、温めておきたいネタになりそうです。
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