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いまの無気力も受け止める、のみ下記に幸あれ

souiyそうおう

ああ!相棒のマックブックは文字の入力までうまくできなかうな、できなくなってしまっていて、数秒のラグがあるのはストレスが貯まる。今日は飲み書きだからこれを本当に楽しみにしていたんですけど、つい癖でごじおなおしてしまいそうになります。毎回飲みかきたのぢんでます。本当にありがとうおございます。のみかきだから、今日は投稿時間はいつもとさ違うんです。まりなさん、本当にありがとうございます。

そういえば、私は缶チューハイ一杯じゃ酔わなかったっけと思う。いやあ、飲み方ができ等、てきとうだからだろうか。枝豆を片手に、ひとりでお酒を飲むもは久しぶりだなと思う。アイパッドでのタイプに慣れてしまったら、マックブックはすこしだけ打ちにくくなっているのかもしれない。

最近はなおみかき、呑みかきでもノンアルだん参加をすることが増えていたけれど、今回はちゃんと飲んでいます。仕事を定時で切り上げて、一人なのに缶をピュシューと開けることの少しの罪悪感。けれども、飲んでやります。だって飲みかきを待っていたのだから。

きょうのおとも

同時に、線香の匂いの染みた黒服を選択にかける。洗濯機はぐるんぐるんとまわり、その定期的な音に促されるように、私は日常に戻ってきたのだと思うのです。忌引きが連休とも合わさった永いおやすみから戻ってきて、仕事にはすんなりとは戻れなくって、なんだか時間をあただ浪費しているような感じがしました。

最近は心にふっと浮かんだのに掬い上げることができずに、漂っているうちに見えなくなrったものがいくつもあります。例えば、短歌を投稿したいなとか、ふるさと納税を今月中に申請しなくあキャとか、排水溝の髪の毛をつ捨てないととか、あのhとの文章を書かなくてはなんてkととか。全部やりたいと一周、一瞬強く思ったはずなのに、いつの間にか消えているのです。そうしてやりたかったことのはずなのに、やれなかった義務感で積まれている。

最近少しだけ試してみたいなと思ったことは、このnoteの表示、文字のフォントの変更です。なんか、ポップな感じが好きで、気取らない感じがいいなと思ってこうしてきたかけれど、変えてみようかなあなんて、そんなことを思ったり。

家族が亡くなったことを、あんまり重くとらえてほしくないって言ったら超語弊があるけれど、なんだかこう、腫れ物に触るようなのはしてほしくなくって、でもこう、テンションが上手くアガ中くらなくて無気力なことは知っておいてほしいと思うというか、あれ、私いつの間にか面倒臭いかしらって、そう思うとそのことを文章にするのは憚られたり。気を遣われたいのに、気に病まれるのはやだなあなんていうわがままさを、主に恋人に振り撒きながら、人と生きるって難しいんだなあと思います。

自分ひとりなら、散らかっていることも、自分が疲れていることも、自分の中だけで完結できるのに、誰かがいると、誰かに期待質しすぎてしまうんだもの。私は疲れていて、心もすさん氏荒んでいて、だから少しだけ優しさを多めに私にちょうだい。あなたの興味のある野球中継より、私が部屋でドライヤーをかけることを優先させてちょうだいよ。そんなことを黙っていてもわかってもらえるはずがなくて、でもわかってもらえなかったことが自分を蔑ろにされたようで、黙って洗面所でドライヤーをかけます。そして黙ってベッドにドスンと潜り込んで、優しい言葉なんてかけてあげないんだから。

なんて、子供っぽいのでしょう。でも、疲れがもっと慢性的になって、し一緒にいることがデフォルトになったら、こういうs些細な不機嫌を相手にぶつけてしまうんだろうという自己ケイン自己嫌悪が襲ってきますよね。はあ、いやだ。

愚痴っぽくなりたくなかったのに、あっという間にいやな雰囲気の飲み会みたいになっていました。危ないわあ。

じいちゃんはね、おい!と笑私たちのことを呼んで、わしはこうじゃ!と言い捨てて去っていくような人で、本当に不器用な人だったんです。だからね、あんまり本心から話したこともなくって、それなのにさいごの時には涙かが出たりする自分が嘘っぽいなあと思ってね、すごく自分の気持ちの扱いに困っていたんです。ここ最近。でも、祖父とそぼよをよく知る人たちが連日集まって話を聞かせてくれたら、ぶっきらぼうだけど会ったた暖かいところもあったんだなあと知ることができて、今までのソフトの思い出も少し変わったような気がしたんです。まあ、典型的に思い出が美化されるやつではありますけれど、それでも私は嬉しくって。

妹が生まれたとき、祖父はご飯を作ってくれていた人に、「我が家に新しい命が生まれた!赤飯を炊いてくれ」と言ったそうです。子供ば好きな人だったけど、自分たちの孫と一緒に遊んだりする人じゃなかった気がして、それでも私たちはその祖父が喜んで赤飯を炊かせる様子が目に浮かぶようで、嬉しかったんです。あとは、祖父は祖母の笑顔に惚れたんだと、昔の仕事仲間には話したことがあったそうで。そんな話、家族はダーレモ聞いたことがありませんでした。

生きてくってね、寂しさを薄く塗り重ねて、でも喜びを一つ一つ心の引き出しにしまえうような、そんな地道な、日々の積み重ねなんですよねきっと。寂しさや悲しさが全くなくなることはないけれど、その気持ちを理解して受け入れている人が見る世界の方が、きっと優しくなるんじゃないかっとて都合いい解釈をしたりしてさ、私は歳をとるってうしあぬ、喪うを知ることなんだなって、だんだんわかってきた気でいます。

いつも、もう会えない人を思い出すときだって、私は前を向けているんだよね、きっと。それだけで今はいいです。進んでいなくなたって、そういう時もあるんだから。人に期待しすぎるのは辞めたいけれおど、自分の日々にはときめきをね、どこかで求め続けている私がいるんですよね。みなさん、幸あれ。






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