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6年間のあなたへ その2

ワークイントーキョー

1人で暮らすにはそれなりに広くて、2人で暮らすにはそれなりに狭い家に、私と妻とうさぎの3人で越してきた。これでも東京23区内。憧れの土地である。
妻、と書いたが、引っ越してきた当時は未だ届けは出しておらず、引っ越してきてすぐに届を出した。契るのは新天地と決めていた。

荷解きは簡単に。
過去の思い出はそこそこに。
未来への期待が僕らには多すぎたから。

乗車

新しい仕事も始まった。
IT系の会社だ。前職は服屋さんだったので、畑違いもいいところだった。
なんやかんやで未経験として雇ってもらえた。ポテンシャルとか。
第二新卒とか。

パソコンは触れたといえどコントロールパネルが触れる程度で、イキっていた私であるので、「サーバーってなんですか?」の質問を上司に叩きつけることは本当に怖かった。もちろんIPアドレスもポートもわからん。上司は引いていた。

学ぶことは多かった。本当に使い物にならないとはこのことかと思った。
焦った。

自分なりにメモをとるなり家で調べ物をするなり、通勤時間にスマホで調べるなり、ノートにとるなり、知識レベルを上げようとしていた。
辛くて楽しかった。
それは学習を良しとしてくれる環境のおかげでもあったと思う。感謝している。

徐々に、仕事を与えてもらえるようになった。
そつなくこなした。
案件の担当をさせてもらえた。
そつなくこなした。
新卒採用担当を任された。
そつなくこなした。
みんなと仲良くなった。
そつなくこなした。

ひとつそつがあったとすると、デスクに座ると手が震えたこと、めまいがしたこと。そんな時はうまく会話ができなかったこと。
休日には何もする気が無くなって、ただ寝ているだけだったこと。
外に出るのが苦痛だったこと
それがずっと続いたこと。

ワークイントーキョー、そんなもんだろう、と。
ジクジクした傷をスーツで隠して、
増える薬は鞄の中で息をして、
いつも通りそつなく仕事をした。

いずれ、なんやかんやで認めてもらい、社内の主力として据えられた。
その認めは、有能なやつなのか便利に使えるやつなのかは未だ知らない。

閑話休題

通勤の朝、定刻、最寄り駅で、車椅子の女生徒と駅員さんが仲良く話すのをいつも見ていた。
今日はテストだとか、明日から夏休みだとか。
見ていると昔からそのような仲らしく、よそよそしさはまるで感じない。
私はいつも、ぼーっと彼等のやりとりを見ていた。
そんな関係性もあるのか、
誰でもない誰かと毎日会話する関係性が実在するのかと感心した。

その子が赤いチェックのマフラーを巻いたある日、駅員さんが唐突に言った。
「私、明日から別の駅で働くことになったよ」
それだけで十分で、会話は途切れた。
私が聞いた最後の会話は、女生徒の「ちゃんと合格するから!」だった。

下車

手の震えやらは、然るべき病院で然るべき薬を処方いただいき、やり過ごしている。
そうこう私が耐えているうちに営業のエースが辞め、私の直属の上司が辞めた。ちなみに私とその直属の上司のファンクションはその時点で我々2人だけであった。
つまり私は1人になった。サーバーとは何か?丁寧に教えてくれた彼はいなくなる。彼のおかげで私は今仕事ができるようになった。だからこそ辞めるんだろうことは想像に易い。
みんなが下車していく。
私はつり革をしっかり持って、次の目的地を掲示板で見つめるしかない。
Outlookには尋常じゃない予定が入っている。


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