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私は双極性障害だから

引き払う家の退去立会いに行った翌日、私は体調が悪くなって起き上がれなくなってしまった。
私は旦那のおかげで夕方までゆっくり眠ることが出来たが、油断していた。
夕方まで眠っていたせいでその後眠ることができず、体内の水分が逆流してくるような嫌な体調になってしまった。
おかしな話である。
体調を回復させるために休んだことで、別の体調不良を引き起こしてしまったのだから。
最初の体調不良は単純に疲れによるものだったのか。
実はそうとは言えない。
起き上がれないと言う状況は学生時代に嫌と言うほど経験したわけだが、最初の体の不調はその時のそれだった。

私は高校二年生の時、正式に心療内科に通院を始めた。
初診というわけではなかった。しかし両親はそれぞれの生い立ちから精神科の類を嫌っていたので処方された薬を隠し、「通わせた」という事実を作ったことで一度は満足した。
しかしそういうわけにもいかなかった。
私が中学一年生からずっと登校時間に間に合って登校することが出来ないでいたからだ。
長い間主治医だった先生に言わせればいくつかの学校の受験会場に向かう途中に起こした体調不良がパニック発作ということだった。
適応障害の診断を最後に終わらせてくれれば良かったのだ。私だって好きで拗らせたわけではない。
残酷な話である。精神病を嫌うあまりその診断を信じたくなくて私の両親は子供を精神病患者に仕立て上げたようなものなのだから。

私は高校を卒業するまでに精神病を克服することが出来なかった。
当時バカでも合格できる試験方式が存在したのだが、私はそれを使い、両親の言いつけを守って大学に進学した。
通っている生徒が自ら「動物園」と称するほどに腐った大学だった。
私はそんな腐った大学でまぁまともな成績を残したが二年生か三年生か、定かではないが中退している。
通い続けることが出来なかった。
志し半ばであった。私は大学の学びに愛想をつかせたわけではない。
体力が足らなかった。私の語彙力で言えばそれは精神病のせいでなく、私の体力の問題だった。

肉体的には徹底的に鍛えていた。
毎日五キロは必ず走っていたし、山道を自転車で通学していたから、中学高校と文化部だった私にしては大学時代の肉体は仕上がっていた。
私は別に筋肉マッチョになりたかったわけではない。ただ耐えたかった。
今まで耐えられなかった学校と家の往復に耐えられる体になりたかった。
なりたいと言っているだけではダメだろうと、運動量だって少しずつ増やしていくようにしたのだ。
しかしダメだった。
肉体を鍛えたって、私の体はみるみる弱っていった。
エナジードリンクで無理やり覚醒させても、その効果は10分と持たなくなっていった。

私は認めざるを得なかった。
自分の体は鍛え上げればどうにかなる体ではないことを。

入院治療や投薬治療は高校生から絶やしたことはないが、私は30になる今でもこの体を操ることが出来ない。
少しでも気持ちが上下するだけでそれが尾を引き、自分が元に戻ることはない。
常に変化し続けることでしか生きていくことが出来ない。
不可逆であることは悲しいことだ。
なぜなら自分が生きてきたことを裏付ける記憶に縋れないからだ。
人は誰しもそうだろう。
生まれてくる前にいた胎内に戻りたくたって戻れない。自分がやんちゃをする前の純粋な頃に戻れない。
しかし私はその次元を超えている。
私は一瞬前の自分を思い出すことが出来ない。それすらこうして書き留めていなければ私が思考したもの全てが消えていく。
思い出したとしても、戻ることが出来ない。
私は絶対にいつもの自分というものを持てない。私らしさなどは存在しないし、そんな幻想に縋るなら私を知らないことと同義になってしまうだろう。

厨二病で終わる話ならどんなに良かったか。
私にはその証に学生時代の友人は1人もいない。
地元の友達だっていない。
友人と呼べるような人間は誰もいない。
私が今認識できるのは旦那と旦那の家族だけだ。
それを保つために私は私を捨てている。旦那が私を認識してくれさえすれば私がそれをする必要はなくなるからだ。

私には記憶がないし、自分らしさもない。
昨日と少し違う気がするくらいの感覚がありさえすればいい。なんせそうやって生きてきたのだから。なんとなくそんな気がする。
これからの人生で私に記憶する能力が備わることはないだろう。
自分らしさという曖昧なものを死ぬまで獲得することはない。
それが悲しいことなのか、違うのか分からない。
私は他人の頭の環境を体験することはできないから。
もし体験出来るとして、それが実現する未来まで私が生きていることもないだろう。

私が自分の体を操れないのは、そう考えれば当たり前なのだ。
蓄積したデータがない。
自分の体の動かし方は生まれてから幾度となくトライアンドエラーを繰り返して獲得するもので、記憶することに致命的な欠陥を抱える私には不可能な方が納得がいく。

これはあくまで私個人の見解ではあるが、こう考えると体の操り方が下手くそな双極性障害と記憶が欠落していく解離性障害には深い因果関係があるようにも感じる。
どうやっても医者ではない病人の私が「私をサンプルにしてください」と声を上げることはできないので、私はきっと後世の人間にとって役に立つ生き方は出来ないだろう。
それでも旦那の役に立てないと決めるには早計だな。私はあと40年は生きるつもりだ。
無駄な足掻きかもしれないが、私はこれからも強く逞しい人間になることを志すことをやめない。
大学を中退した時の私が何を思っていたかは知らないが、大学の学び以上に旦那の人生に伴走することは大事なはずだ。
見合わないと見限られる前に足掻き倒そう。
体を操れなくても、記憶が抜け落ちても、隣にいる旦那と歩む未来だけは霞んでいくことはないのだから。