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人新世の”脱宗教”宣言


 なんだかものすごく奇跡的な瞬間に立ち会っているのではないか?と思う。

 2022年末から2023年初頭にかけて、日本の社会では「宗教2世問題」という形で、宗教のあり方やその実態が厳しく問われるようになった。

 端緒となった「旧統一教会」の問題をはじめ、「エホバの証人」などの新興諸宗教の教義の問題や、子どもへの強制・虐待・金銭問題などが一気に表に噴出して、政府や社会を巻き込んだ社会問題になっているわけだ。

 それに付随して、新興宗教ではない、旧来からの宗教宗派でも、そこに属していた人やその子どもたちから、さまざまな声が上がりはじめ、日本の宗教界がざわついている真っ最中である。

 そんな中、幸福の科学の創始者である、自称メシアの「大川隆法」氏が亡くなった。

 彼の教えやその教団にも当然、さまざまな問題や疑惑が渦巻くのだが、それはこの記事のテーマではないので、割愛しておこう。


 僕たち私たちが、ここで気づくべきなのは、たった一つのことである。

「神は死ぬ。神を自称するものであっても死ぬ」

ということだ。

 奇しくも現代を生きる私たちは、すこし前にオウム真理教の教祖であった麻原彰晃死刑囚の刑死に立ち会った。彼の場合は、国家や人々に対する明らかな犯罪行為の末に死刑になったが、いずれにしても、私たちは

「自称神であった者の死に様を、この目でまざまざと見た時代」

に生きていることは間違いない。

 二人もの自称”神”の死に立ち会って、僕たちは何を思い、何を学ぶのかがこの記事のテーマである。

 ブッダの死や、イエスの死は、いくら知っていても同時代のものではない。伝説や伝承のたぐいで、だからこそ「復活した」と言われても「はあ、そんなもんですか」と実感がない。

 しかし、自称神の死は、まざまざと見えている。その後がどうなるかも、わかる。リアルタイムの凄さは、そこにある。


 この時代、この期間、この時を生きていることは、たぶん宗教に関わったすべての人や、すべての宗教2世にとって大きな意味を持つだろう。

 それは

「宗教とは何か」
「それを信じる人とは何か」

を実体験として、この目で見て、感じて、触れる瞬間だったということだ。


 けれどもそれは、数千年、あるいはもしかしたら数万年近くにも及ぶかもしれない、「ヒトが想像した、超自然的な何か」との関わりが、今これからを持って「終わる」「変わる」瞬間なのではないか?

 そうだ。教祖は死に、宗教が過ちを犯すのであれば、今こそ僕たち私たちは

「宗教や超自然という呪縛から、脱却できる」

チャンスのまさにその時にいることになるのだ。これは、数千年の呪いが解ける瞬間に違いない。


 これを、私は「人新世の脱宗教」と呼びたい。人新世とは、まさに今の時代で、人類が活動することで、地球の環境や歴史が大きく変わった時代を意味する。

 実は脱宗教の機運は、以前にも一度あって、ニーチェが言ったように

「神は死んだ」

であり、神ではなく「科学」がすべてを支配するように感じられた時代があった。

 西洋文明においても、旧来のキリスト教の権威が失われ、科学万能主義で物質文明が極度に発展したことは、誰もが知っている。

 ところが、そこには落とし穴があり、核の問題や、エネルギー資源の問題、環境破壊などのアンチテーゼとなるものが次々に出現してしまった。

 科学万能は、不完全でまやかしであり、そのせいで今でも福島の人たちは実家に帰ることすらできないのである。

 あるいは、高度成長を経て、物質主義や商業主義が極まった結果、カルトなどに心の拠り所を求める人たちが続出した。

 旧来のキリスト教権威や、葬式仏教は衰退したが、新興宗教がそれにとって変わった、というのがオチだったのは、笑えない話だ。


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 この大きな歴史の流れを見て、何を学ぶだろうか。

 神は死んだ。科学は万能ではなかった。心の拠り所には騙され、教祖はあっけなく死ぬのだ。

 結局、そこには「信じるべきものは、何もなかった」という空虚なものがあるだけだった。

 この問題への答えは、奇しくも昨日、私ムコガワが少しnoteで触れたばかりである。

 それは、「武庫川さん、救世主になる」というお話だ。

 あれはカルトでもなんでもなく、ましてや宗教でもない。

 純然たる、人間を信じ、人間として生きる

「人間宣言」

であった。

 人が、人に、優しくする。誠意を持って向き合う。人を愛する。

というどこまでも人間の行為を信じるものであった。


 ちょうどこのタイミングで、きっと僕たち私たちは「宗教」的なものや「超自然」的なものに依存するのを辞めて、卒業するのだろう。

 旧来の神も、科学万能も、自称の神も、すべて卒業だ。残っているのは、あくまでも

「人が、人のために、人によって行うもの」

だけなのだから。

 それを信じよう!

 神や科学やカルトに依存するのではなく、人が人のままで、人として互いに関われることを信じよう!

 そういう気持ちを新たにする。


「人が、人のままで救い、救われること」

それがやれるのなら、こんな素晴らしいことはない。私はそこに希望を持ちたいし、そう生きたい。

 そう生きたいと思う人たちを、仲間として応援したいと心から思っている。


 繰り返しになるが、いま僕らは、「宗教とはなにか」「信じるべきものは何で、どこにあるのか」という問題に、真正面から向き合えるすごい時代を生きている。

 これは、あなたや私が救われるだけでなく、世界が変わるくらいのチャンスなのかもしれない。

 しっかり目を見開いて、考えて、そして、できるなら少しだけでも、あなたの周りの人に、優しくしてほしい。

 僕らは人を信じたいのだ。神ではなく。



(おしまい)


 





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