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短篇小説『華やかな9月』

 文芸部、とでも云うのか、それは。

 その町では回覧板がないかわりに、家ごとに夫人が、暮しぶりなどの近況報告を、かるい随筆、或いは私小説めいたかたちで描き、原稿をもち寄り、冊子をつくる慣習があった。

<庭の酔芙蓉がことしも咲きました。朝に白くひらき、夕暮れには酔って、あわい紅色にしぼみます>
 とか、
<ベランダに鳩が巣をつくりました。愛らしい雛がかえっていて、どうしたものやら>
 だとか、
<どちらのお子さまによるものでしょう、道路いちめんにスプレーで髑髏どくろの顔が描かれていました。人どおりのない真夜中に描いたのでしょうか。懐中電灯でもともして。こころ安らぐ緑色をした髑髏でした。将来はあばんぎゃるどな芸術家として羽ばたきますね>
 だとか、
<さぞ歴史をおもちでしょう日本家屋から、二階の屋根瓦が、道に落ちております。しめった夏が過ぎ秋の風がふくと一枚、また一枚と、くすんだ青葉が落ちるかのようです。この町の風物詩ですね>
 だとか。
<隣から 幾日目かの カレーの香>
<朝ラッシュ 押し退け座る 豪腕婆>
 など、川柳をしたためる者もいた。

 旧い商店の多くある町ゆえか、町内会などの会合は基本的に男たちで行われ。冊子の夫人たちが一堂に顔を合わせるような機会はない。仮にあったとしても、冊子の原稿は郵送で編集担当の宅に送られ、名前はおのおのペンネームで発表されるので、誰が何を書いているかは、編集いがいの人間には皆目わからないか、書き手によってはうすうす見当がつくといったぐあい。
 どこの町とも変らず、何時間でも井戸端会議をする風景が其処彼処にあり、噂や詮索の類いが三度の飯より好きな輩もいるだろうに、我らが文芸部? の冊子の中身にだけは、いにしえよりの掟か、触れなば爆発し膿が町を埋めてしまう巨大な腫物でもあるかのごとく、そう云えば今月号のアノ話、なんて褒めも貶しもざわつきも、掠りさえもせず。すべてを把握している人物は、ほんとうに誰もいないかのように思われた。

 或るとき、事件はおきた。
 いつもの編集担当である仏具屋のU夫人が、実母の急病でしばらく帰省する為、町いちばんのお屋敷と、それも視えぬほど果てない桜の庭をもつF夫人が、その月の号の編集代理をつとめることとなった。和菓子屋の嫁であるY夫人は、その月の原稿を書きあげるのが遅れ……否、わざと遅らせたのかもしれないが兎に角、郵送では間に合わなくなり、町民会館の印刷室まで、原稿をじかにもってゆくことにした。
 陽はすでに沈み。印刷室の窓だけがともされる。異様に重い握り玉のドアノブをひくと、ふりむき微笑むF夫人。F夫人は、私物であろうおおきなワープロ機をもちこみ、私なんてだ原稿ここで書いてるのよ、うふふ、と云いながら、そのキーをパーカッションの一種のごとく、快いリズムで叩いていた。夫人たちの原稿の山であるテーブルのうえに己のものも乗せながら、一行しか液晶に文の表示されない旧式のワープロ画面を、ちらり覗くと。
 その、ドットの頗る粗い文字によるワンフレーズに、Y夫人は総毛だち、そして確信した。
 あの冊子でもっとも、おぞましい記事………他者の粗や弱所を蜜のように愛し、舐め回し、実名こそ伏せるが町内の誰かに関し、真偽をとわずゴシップもしくは三文小説として底意地悪く、重箱の隅を突き壊すがごとく暴き、ライトを浴びせ裸よりグロテスクで猥雑な様相で、つるしあげ……そこまで厚顔無恥でいながら、自意識だけはどんな劇作家よりも敏感で、己を悲劇舞台の主人公に仕たて、ねっとりと媚び、顕示し、又自己愛に底知れず耽溺する、ムダに豊富な語彙とテクニカルな文章で、忌まわしい記事を書いていたのは……この女だ。
 その刹那、おくれて酔った芙蓉のごとく血潮たちのぼったY夫人は、果して原稿の束をもちあげたのだったか、ワープロ機を掴みあげたのだったか或いはその両方で、横からF夫人の頭を、はり倒した。液晶のたったの一行で、ほぼ第三者である人間に殺意をあたえ激昂させ、凶器の手をあげさせる筆力に反し、果敢無はかないF夫人の身はいとも簡単に椅子からビニールのダッチワイフさながらふっとび、ころげ落ち……床に伏した、髑髏みたいに空気のぬけたほそい顔は意識を失っている様子。乱れ髪の森の何処かより、頬へと流れる赤いもの……
 深更にしぼみきった芙蓉か、或いは初秋に落ちるボロ家屋の屋根瓦となって蒼ざめたY夫人、その場から逃げだした。

 Y夫人、バスに乗り、電車に乗り、町から離れたり、又近づいたり……どのように初秋の夜のながい軌道を抜けたものやら、気づけばオレンジに染まる早朝、だ座席を奪う豪腕婆も誰もいないバスで、己の町へ戻っていた。未だどの店も眠りにつくアーケードを、Y夫人はめまいと共にあるく。アーケードをおおう布張りの屋根は所々やぶれて、頓珍漢に天国への梯子を幾筋もおとしている。F夫人が命をおとしたか否か、Y夫人には、どうでもよく。唯どちらにせよ己のせいで、町で一軒の和菓子屋が消えることだけはわかっていた。Y夫人はいとしい我が家をいったん過ぎ、シュークリームの店へと足をのばす。Y夫人の夫Y氏は和菓子屋の三代目でありながらシュークリームが何よりの大好物で、Y夫人は何もかも崩れ去る前に食べてもらおうと思ったのだ。小一時間ほどトラックでシュークリーム顔の店主がやってくるのを待ち、ドライアイスの白煙がもれる箱をもって家に戻ると。おなじく店を開ける支度をはじめていた饅頭顔のY氏が、Y夫人を視るや、あ? なんだもう帰ってきたのか? お義母さんのぐあいはいいのか? と云った。

 一週間後、Y夫人のもと、何事もなく町の『文芸部』の冊子は届けられた。真っ先に奥付を視ると編集者の名前はF夫人にあらず、いつもどおりの仏具屋のU夫人であった。冊子を隅々まで探っても、あれほど憎々しく思い読めば頁を乱暴にちぎっていたF夫人の(であろう)文は、何処にもみあたらない。過去のナンバーを家にあるだけひっぱりだしてもみたが、ちぎった痕跡さえ消え、ているどころかすべてかるく眼をとおした程度、といった風に手垢もつかずヨレもせず、きれいなものだった。そもそもどういった内容の文に、嫌悪をこえ殺意を抱き、(Y夫人のなかでは)実行にまで到るほど憤っていたのか……それすらY夫人には、思いだせなく。

 F夫人の屋敷は、あった。しかし幾度訪れても、緑の葉がひしめく桜並木の向うにチラリと視える家屋に、人の棲む気配は感じられなかった。ぼんやりしているところに、喫茶店の営業を終えた帰りかS夫人がとおりかかる。煙草をもつ手を視れば、中指のさきより、赤いもの。さっきうっかり切っちゃってェ、絆創膏きらしてるから、しばらくほっとくワ、にしてもこの屋敷、いったいいつになったら売れるのかしらねェ、持ち主はとっくの昔に死んでて、末裔っぽいえらく若い男の子が所有してるって話で、たまァに清掃業者やら植木屋を何処からともなく呼びつけて手入れはさせているようなんだケド……まァこんな連続殺人でも起きそうなお屋敷、お金あっても住みたかないカ? ハッハッハ、いっそ景気よくぶっ潰してほしいヤ、あァ、ところで来月Uさんのかわりにあたしが冊子の編集することになったの、よろしくネ、あたし川柳書いてるヒマあるカシラン……あらヤだ、バラしちゃった、ハッハッハ………

 センセェ、これなぁに。少女が町民会館の習字室の棚にあった本をひっぱりだし、たずねる。センセェと呼ばれた女は眼尻にうっすら皺をつくり。これはねぇ、町に住む大人の女の人たちが書いた文を集めたものなの、先生もあなたのお母さんもこの町に住んでいるから、書いているのよ、どれがお母さんの文かって? それは先生にはわからないけれど……でも皆さんとってもお上手なのよ、先生も視習わなくっちゃ……少女はぱらぱらとめくり、文をながめる。碌に読めはしなかったが、きれいにレイアウトされた行と行のあいだの、真新しい白地に何故か、無数の白蟻が蠢くような不可思議さをおぼえ、しかしそれをセンセェに説明する術をもたず、面白がりたいのか泣きたいのかもわからず、何もなかった風に棚に戻す。
 畳張りの習字室では、習字を書き終えて朝焼け色か夕焼け色のオレンジジュースを飲んだ子供たちが、無垢な鳩の雛のごとく眠っていた。手や顔に夜のような濃い墨をつけた儘の子もいて。少女も、あまり他所では眠らないたちなのに、不可思議なほどうとうとしてきて。子供が東西南北とわずひしめくなか、横になる。
 すぐそばで、センセェと呼ばれる女は穏やかに、畳のうえ緑のフレアスカートを円くひらき、冊子を膝にのせ読んでいて。その様子はさながら、睡蓮の葉の姿をした、手も足も顔もない緑の妖怪が、唯ひとつのパーツである口から白い牙をむき嗤っているかのように、少女には視え。眼をそらし、センセェの聖母画のようなながい睫の数をかぞえようとするも、ぼやけてゆく。耳だけは未だ澄み。頁をめくる音と、コノドロボウネコ、とか、キチクノコハキチク、とか、マチヲケガスバイタメ、とか、ニンナシバケジュウ、とか、ウラミコツズイニイル、とかいう節を読経のごとく口ずさむやわらかな声、会館の最奥にある印刷室で、紙の束をざくっ、ざくっ、と、死神がもつ大鎌ほどの刃で裁断する重厚な音とが、異色ながらひき離せぬハーモニーとなってゆくのを聴きながら、少女は眠りについた。






©2023TSURUOMUKAWA
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