ちいさな小説群<6>
<壱>
nekonote、と、外国訛のきつい、老いた行商人。
渡されたそれは、本物の猫の手でなく、旧い木彫。要らないと云おうとしたら、もういない。
病院は休みもなく忙しく。
或る日。
消灯後のロビーで、入院患者達、植物人間や死者や幽霊迄もが、点滴も松葉杖も呼吸装置も、白装束も三角巾もとっぱらい、おなじ速さで東へ向かい、歩んでいた。月の光がさす訳でもないのに、皆影を纏わず白く、悟りすました表情で、碧い眼もしくは翡翠の眼。ときどき腕をぺろぺろ舐めてはそれで顔を拭きつつ、夜間出口へ。
私はとりあえず、仮眠する。
<弐>
nekonote、と、外国訛のきつい、老いた行商人。
渡されたそれは、本物の猫の手でなく、旧い木彫。要らないと云おうとしたら、もういない。
男と別れたが、私のマンションには彼の荷が山程あり、当人も野良猫の如く居座り。私も仕事が忙しく追い払う余裕がない。
或る夜帰ると、男はソファーベッドごと、地に落ち死んでいた。頬に真っ赤で巨大な、肉球の跡。
<参>
nekonote、と、外国訛のきつい、老いた行商人。
渡されたそれは、本物の猫の手でなく、旧い木彫。要らないと云おうとしたら、もういない。
俺は演歌歌手の卵。大御所の師匠に朝も昼も夜も付き、忙しい。
或る日、公演先のホテルのスイートへ夜伽にゆくと、師匠はベッドに白ブリーフ一丁で力士の如く立ち、右は拳を握り左は招き猫の手つきで、ほそい瞳孔の眼を視ひらいた儘、死んでいた。
<肆>
nekonote、と、外国訛のきつい、老いた行商人。
渡されたそれは、本物の猫の手でなく、旧い木彫。要らないと云おうとしたら、もういない。
コールセンターにて、クレーム対応が忙しい。
今日は内輪で『鼈』と仇名のつけられた人物に当ってしまう。頭を空にし、マニュアルのみのロボットとなり、オペラ歌手も卒倒するであろうボリュームと、語彙と表現力ゆたかな罵声を浴びていたら。
『鼈』はふいに、
「あ、蛇口壊れた。水とまんない」
と云ったきり、無言に。
私は45分水音を聴き、受話器をおく。
<伍>
nekonote、と、外国訛のきつい、老いた行商人。
渡されたそれは、本物の猫の手でなく、旧い木彫。要らないと云おうとしたら、もういない。
バスガールは忙しい。
今日のツアー客も、また姦しく。食べ物と成人病と美容法、野球と競馬と猥談、醜聞のタグを付けた人間に纏ることのほか、話題を識らず、窓をながれる錦秋(およびガイド)に片時も眼を遣らず、休憩・集合時間を守らず、ゴミとワガママばかり溢しつづけ。通りすがるたび私の尻を撫でる爺も。
しかし。
名所でもパーキングでも何でもない場所で、さっき迄尻を撫でていた老爺がふいに、
「儂の帰る場所にゃ」
と、それ迄聴かぬ香木のような、常田富士男っぽい声色と、澄んだ眼でおりてゆき。以降も随所で、
「山が呼んでるにゃ」
「わにゃしは海の子」
と、男なら常田富士男、女なら市原悦子っぽい薫りとともに次々去り、戻らず。
なぜか運転手も私も、留めようとは微塵も思わず、まるで迷いこんだ蝶でも空へと逃がすみたいに、視おくる。
ひとが半分ほどになったバス、空席のひとつに、シートのくすんだ革と窓の銀杏並木を透かした巨大な猫が、一瞬視えた。
<陸>
nekonote、と、外国訛のきつい、老いた行商人。
渡されたそれは、本物の猫の手でなく、旧い木彫。要らないと云おうとしたら、もういない。
夫不在の今日、朝・昼・夕刻と、3人の男を家に呼びこみ、忙しい。
………でも。
終ってみると、3人でなく、2人だけだった気がしてならない。
1人目は朝の、息子の高校時代の担任教師に相違なかったが、2人目の義弟と、3人目の酒屋の青年とが、優しさや甘さ、腕力や荒ぶりなどがまざりあい、ひとつの軀となっていたように感ずる。這う舌は妙に、ざらざらして。
<漆>
nekonote、と外国訛のきつい、老いた行商人。渡されたそれは、本物の猫の手でなく、旧い木彫(以下略)。
誘拐される。うちの社のフロッピーディスクが目的か。この糞忙しいのに。
私は、透明な巨大猫に包まれているらしく。ナイフも銃弾も、その背の厚い毛皮がボヨンとはじき、寄る者は、おそらく爪によって、血祭りにされ。
私は助けを待ちつつ、コンビニの海苔弁当を食べつつ、猫アレルギーで嚔。
【No.033〜039】
©2023TSURUOMUKAWA
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