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短篇小説『神無月』

「甘藷が、嫌いだ」

 あのひとは云った。

 えたいの知れぬ甘さ、喉を隈なくうずめてくる感触……
 そもそもの色かたち。血をとめられた風な皮膚の色と、かわいた手触り。
 地中で瘤のように根を膨らませるという生態のグロテスクさ。
 果実ほどの美的さも洗練も可愛げもなく、寧ろ永遠に垢抜けぬ田舎者なのに、御菜どころか、眼を離した隙には南蛮渡来で御座いとばかりに小洒落た御八つにも収まるふてぶてしさ……などなど、兎に角、
「総てが我慢ならぬ」
 と。

 あのひとの、度のきつい眼鏡で殊更ちいさく見える眼は、岸壁、或いは赤い甘藷の窪みに隠れるように不安げに、鈍い光を彷徨かせ。外側へ斜め上に、ひろく深く彫り込まれた左右の鼻孔は、忌むべき甘藷の匂いをさぐるように、苛だつように、恒にひくひくと震えていた。

 あたしは、独り住いをはじめてから数年、甘藷を口にしていない。自炊のメニューはいつの日も無色な病院食みたいにおんなじで、そこに甘藷がなかっただけのことだ。
 そう呟くあたしの體を、あのひとは捜査犬みたいに、嗅いだ。鼻孔をさらに、ちぎれんばかりに膨らませて。細胞ひとつぶさえ甘藷のアントシアニンやらヤラピンやら食物繊維やらに陵辱?されていないのをたしかめ、
「美しい」
 などと、わざとらしく讃える。

 美術館で。

 百貨店上階。
 夜よりすこし明るい程度の空間に、サイケな光が色さまざまに、レイザー、或いは焔の珠となって泳ぎ。白い、人の姿か野獣かそれとも唯の岩か、立つか寝そべるかしたシュールな像を素っ気なく、はたまた舐める風に照らす。所謂、インスタレーション。
 あのひとは、3メートルはある白い女性の裸體みたいなのと、白い猪みたいなののはざまに、あたしをゆっくり倒し、「美しい」とだ云いながら、鯉に似た唇で吸いつき音を鳴らした。通路には客がちらほら歩いているが、あたしたちもインスタレーションの一部に映るのだろうか、たとえ顕らかに眼が合っても何の感情もなさげに過ぎてゆく。あたしからすれば、あたしの首から乳房へとおりてゆくあのひとの鯉の唇や生え際のすこし後退した七三分けの髪、スラックスの張りつめた尻も、暗さでピントが合わず朧な客の横顔や着ているボーダーシャツ、パーカー、スカートかキュロットか知れぬ服、ハンチングかキャスケットかベレーか知れぬ帽子も同等に、光をうけたりすかされたりするインスタレーションなのだった。
 あのひとにもあたしにも誰にも雪が降っている。たぶん発泡スチロールでできた雪。

 甘藷が近年、異常繁殖している。

 畑の領域など易易とぬけ、蔓が無数の腕をのばし。河も山も越え、岩石もアスファルトも壁も突き破り、おのずから紫の身を、我慢ならぬとばかりに表出させる。通常の甘藷の5倍か10倍か20倍ほど肥えておおきい。地中であらゆるものと絡まり交配および淘汰がくりかえされた果て、もはや品種の区別さえ失われた代物。
 地にあふれる甘藷。今やそれらだけがリアルに息づき、街や木々や人がミニチュアに思える。この星を宙より眺めれば、おそらく紫だろう。
絞殺された死體のようにかわいた紫を人々は踏みしめ、のぼりおりし、時には蔓をちぎって身を食べ、時には焼畑のように一帯を燃やしたりなどしながら、暮している。道路や線路が塞がったり電気やガスがとまったり水道管が破裂したり不便は多々あるが、慣れてゆくものだ。
 90になるあたしのお祖母ちゃんも、腰をまげ買物カートをおし、甘藷による凸凹道を日々歩いている。ころびもせず逞しく。無表情で、「楽しまんで、どないするん」を口癖に。お祖母ちゃんが拵える甘藷の『南蛮渡来で御座いとばかりに小洒落た』お菓子があたしはほんとは大好きで、あたしの顔を見ればかならず出来たてを食べさせてくれたけれど、もう今は甘藷が甘藷であることも、あたしがあたしであることすらも忘れ。

 あのひとは、紫の星にどう生きてきたか。忌み、憎むものにつつまれた世界で。

「甘藷のほかに、話すことがない」

 問わずとも、答えのようなそうでないようなことを、あのひとは喋った。

「学生のころ、甘藷の屋台がきた。大学のほかなんにもない死に絶えた日曜の街に、知らない親父の嗄れた呼び声と、焼けた甘藷の匂いが何処までものびた。俺は襤褸アパートをとびだして、行った。
 まず、『親父の呼び声』は偽モンだった。テープをエンドレスで流してるだけなんだ。俺は売人を探した。だいぶ離れた喫茶店で、クリームソーダ啜っていやがった。
 視た目は甘藷そのものって男だった。紫って云うより、赤みのつよいタイプの。かわいた赤い顔に赤い手、直線じゃないがごつごつした輪郭、染みだらけで、みじかい髭ながい髭が、ところ構わずぽつぽつ生えてた。
 声はテープの地を這う重低音と違って、宙に浮くように軽くて、『え?』っていちいち聞き返さなきゃならないくらい小声だった。
 俺は蝦蟇口からなけなしの硬貨をだした。『足りないよ』って馬鹿にした風に云った。窯の蓋がひらくと、男の顔ぐらいでかい赤の甘藷が焼かれてた。あの時代は不作で高騰してたとは云え、札でなきゃ買えないってぼったくりだよな? それでも欲しいってねだったら、又何かぼそぼそ。『え?』て聞き返したら『じゃあお前で払え』ってさ。ブランド物身につけてる訳でなし、『え?』と思ったけど、気づいたら男は襤褸アパートの部屋にいて、俺の白い體のうえに赤い體のっけてた。甘藷か體かどっちかから、湯気がたってた。独りで生きる蜂知ってるか? 親が造った窓のない土の小部屋で成虫になるまで眠って過して、壁を破って出たら、待ち伏せしてた雄にいきなり胴つかまれて、叢に連れ込まれるんだよ。じぶんの性も、毒針があることさえ未だ知らない蜂がさ。飛ぶことをマスターする暇もなく羽交い締めにされて、流星みたいに堕っこちる……アレみたいな気分……いや、ちょっと違うか。俺のアパートは2階だし、歩いて逃げることもできたんだ。逃げたければ。
 それから独りで、裸のまんま、男の顔みたいな甘藷を喰った。ぜんぶ平らげようとしてもう一寸ってとこで、台所で吐いちまった。シンクが赤くなった。
 就職して何年かして、別の街で、あの男見たんだよ。甘藷でなく、蕨餅売ってた。抹茶の。男は向こう側が透けるみたいな肌してて、髭の一本もなく。抹茶と言うかクリームソーダのみどり色だった……あとは売り物を焼くか冷やすかの違いだけで、『え?』って聞き返される小声で高い値段ふっかけて、最後はどさくさ紛れに?若い莫迦な蜂を慾る……例のやり口だった。俺は男のいない隙に、軽トラのブレーキを壊しておいた。戻って乗り込んだ男の車は、エンドレステープの重低音の尻尾ひきながらまっすぐの坂道を、歩いて追いつくぐらいののろさでのぼってった。ちょうど果の辺りで夕陽が、灯台みたいに光ってた。トラックは融けてった。

 それから10年は俺、ふつうに甘藷、喰ってた。異常繁殖が始まるより10年ぐらい前、嫌いになった」

 降りそそぐ。発泡スチロールの雪。
 空間で火の珠とレイザーの光は、総てのものにたいし色を、赤青緑とかランダムに彷徨かせている筈だが、あたしのブラとパンツは、ずっと赤紫だったように思う。まさしく、甘藷の皮膚みたいな色。それが有難迷惑にも結界か、魔除けの札とでもなったのだろうか、いずれもあのひとの指にも鯉の唇にも脱がされず、その儘。けどあたしの輪郭をあのひとは、まるで曖昧な鉛筆デッサンにたしかなペンを入れるように埋めてゆき。何処からか精をつけ繁殖力と腕力を益々たかめ、この高層ビルにも手をのばしつつある甘藷の蔓の有り様を、あのひとは自身の、若き日とちがい半端に陽焼けし染みだらけの肌、髭のはえた指や上腕や胸や脛に、かさねているだろうか。眼鏡をはずした眸はやっぱりちいさくて、光もささず、黒い。偽モンの雪なのに、寒い筈ないのに、吐く息が七色に映る。真下より見る、左右にひろい鼻孔は、よもや門を護る阿形像の如き迫力を帯び。あたしに「美しい」とはもう云わないかわりに、
「俺の顔を視るな。憶えるな」
 と、何度も。

 そんなあれこれが、幻の描写だったのか、あのひとの體の重みも姿も、今現在、あたしがとらえる今現在に於いては、ない。あたしは雪に埋れる。通路を客は過ぎてゆく。隣に立つ女體ぽい像の、アクロバティックに反らせた腰や曲げた脚が、強度の限界かボゴッと音を鳴らして折れ、そこから散らばる白の破片が、雪となる。マリンスノーみたいに、スローモーションで散って舞って降りる雪。発泡スチロールでは、おそらくないのだと思う。ボゴッとあちらこちらで音がする。神様か只の親父か知れぬ像の首や、蛇か龍か知れぬ像の胴から。すると更に密度をあげて雪が舞う。何であれ、偽モンの雪、七色の雪が。「意味わからへん」「芸術ってそういうもんや」「水道管また壊れたて。3階まで沈んでるらしいで」「しばらく出られへんな」「ラーメン食べに行こか」話し声のおおきい客を警備員が注意している。あたしは雪に埋れる。週末お祖母ちゃんに会いにゆこうか。「楽しまんで、どないするん」って無表情で、滑舌わるく言うかしら。買い物カートの音が聴こえる気がする。芸術も警備員も突き飛ばす車輪の音。あのひと甘藷が嫌いなんて、ほんとは嘘かしら。「あなたの顔を口から写真が出るぐらい憶えてる」って言ったら、厭がるかしら悦ぶかしら。あのひと3階で溺れ死ぬかしら。或いは甘藷の蔓に首を吊られて、あのひと自身が紫の皮膚の甘藷となるのかしら。あたしは雪に埋れる。融けない雪に。いくつもの色の光がにじんで、ひとつになる。

 叢に連れ込まれた蜂のその後をちょっと考える。雄蜂が去ったあと、とりあえず飛ぶ練習をするかな。女であること、毒針をもってること、いつ知るのかな。
 それから今日の夕餉はいつもとちがうものをいつもとちがうスーパーで買うか、などと思う。甘藷にだけはしないけれど。





©2022TSURUOMUKAWA

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