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短篇小説『人でなしの午后』

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『人でなしの午后』
(『Z夫人の日記より』<108>)


4月某日 青(1/3)

<仕事兼デートを致しましょう>

と、手紙がきた。

便箋ではなく、荒いデッサンみたいなペイズリー柄がデザインされた紙の裏に、きれいな文字で記されている。

ーーーーー

4月某日 青(2/3)

躯をタイトにつつみながら、衿と袖と裾がラッパの如くひろがり、際であかるい裏地を見せるワンピースをきて、待ち合わせ場所へゆく。

そこは埋め立て地の果て、海沿いにある、遊園地跡。腕時計は午後1時。うす曇り。

道中はカクカクとしたマンションや工場がそびえていたのに、風ふきぬける破れたフェンスの向こうには、灰色の海とともに、死に絶えた、しかし或る意味有機的な砂地が、ひろがる。かつてはメリーゴーランドもコースターもミニチュアのような、可愛らしい遊園地だったが、すべて壊されアスファルトも階段も剥がされてみると、思いのほか、無辺際に感じる。この辺りだけは何年も土地の買い手がなく、まるで何もかも不在の砂地、砂丘を、不在の儘に護るみたい……

……否、唯一、あまり高さのない観覧車だけが、砂風のなかぼんやりと、そんなタッチの画みたいに、遺されていた。円型のゴンドラは、10台ほどあるか。緑のたわわな果実のように垂れ、微かに揺れている気がする。

眺めていたら、ギュルル、と、場にそぐわぬ生命力ある音が耳にまとわり。ふりかえれば、ややひくい位置、かつて階段があったのだろう坂の途中から、ちょうど観覧車とかさなる私をとらえる、黒スーツの、男。
二眼レフのカメラをかかえ、あわい陽光にも呼応しかがやく躰毛に隙間なくつつまれた顔を俯かせ、ファインダーをのぞき。
男は顔のみならず首も、手も、ひとすじのハネもなく滑らかな白地に黒い縞の毛でおおわれ。縞模様はことのほか繊細で、品よく艶めく磁器に、規則的で左右シンメトリーなヒビをはしらせるようにも映る。カメラのフィルムを巻くノブをギュルルとまわし、写真を数枚とると、こちらにアイスブルーの鋭い眼をむけ、左の耳と髭をアンテナみたいにピンとたて、右口角を歪め、微笑みっぽい顔をつくる。

男は猫なのか虎なのか、よくわからない。とくに聞く意味もないので、聞かない。

いきなり始まった撮影が挨拶がわりなのか、男は無言で背をむけ、海へと歩む。オーダーメイドだろうスーツのヒップには穴があけられていて、ながい尻尾を蛇みたいにうねらせる。
波打ち際に、ゴンドラが1台あった。やはり観覧車の木から緑の実はおちて、ゆるい砂の坂をころがってきたと見られ。
男は丸っこい手で、錆びついた扉をあけ、
「どうぞ」
と。ハイヤーの運転手が手袋をしているかのような趣だが、れっきとした彼の、爪をきれいに切った素手である。
「食虫植物みたいな服だね。似合ってるよ」
褒めているか否か判らない言葉を、燻した風合いの声で綴る。裾についた砂をはらってくれながら。

ふたりとも乗りこみ、ほんとのアトラクションよろしくすこし待つだけで、海の波が、腕をおおきくやわらかくのばして、ゴンドラをあっさり、さらってゆく。

ーーーーー

魚も草も見えぬ、工場からか薬物の匂いただよう濁った海を、ゴンドラはすすんでいる、と思われ。私も、向かいの男も、すこしも揺れてはいないが、何故か私のラッパ状の衿と袖と裾だけは、食虫植物の口と言うよりは、熱帯魚の鰭みたいにひらひらして。
男はながい脚をひろげ、くつろいだ様子。その姿は運転手でなく、いつだったか見た、郵便配達夫の画を思い出させる。あのモデルは人間だけれど、白い髭をたくわえ、眸も青かった。
男の背後が、暗くなってゆく。ゴンドラが底深く沈んでいるのだと解っているが、さらさらと、やがてねっとりと、夜に呑まれた気分になる。腕時計は1時37分。

……しかし時計の針も男の姿も、消えずにいるので妙だと思ったら、窓の外、光がある。いくつも。白の光の粒が群れをなし過ぎたと思ったら、次には赤くぼんやりした光が佇み、青くほそくうねりをもつ光が舞い、金色のかがやきが明滅をくりかえし……あらゆる深海魚の類いによるものなのだろうが、魚の造形はまったく見えず、光だけ。予備知識なしに、これは何? と聞かれたら、すこし酔いながら乗ったタクシーの窓を流れてゆくネオン街……と答える。
「深海はあかるくて、綺麗でしょう? ネオン街みたい、なんて野暮なこと思わないでくれよ」
男は私を見ずに言う。……否、厳密には、ふたたび二眼レフをとりだしファインダーを見おろして左右逆となった私の像をとらえながら、言う。光があると言えど撮影するには暗いので、私はうごかないよう意識をしていると、
「好きにうごいてくれ。僕を誰だと思ってる? ひとでなしのカメラマンだよ」
と、俯いた儘、頭頂の縞模様をみせ、瞬きせず眼をかがやかせ、やはり右口角だけあげて、微笑みっぽい顔。ギュルル、とノブをまわし。
ひとでなし。そう言えばそうね。クスッと笑うと、すかさずシャッターを押され。

……彼でも誰でも、仕事で撮られるのは慣れているのに、今はなんだか、躯をおさえつけられ、写真という平面に、私の心のうごきまで幽閉か、ピンで留められているように感じる。それは深海の暗さや水圧ゆえなのか、それとも彼に拐かされる感覚なのか……もしそうとして、私は彼を何だと思っている? 猫か虎か知れぬ猛獣か、深海魚よりくっきり俗世に姿をあらわす神秘か、無表情なだけのひとりの男性か。

……ゴンドラが地につく感触があった。すると男はあっさり扉をあけ、私の手をとり、外へ出る。じぶん達の姿が見えるほかは、上も下も判らない場所を、男は左の耳と髭をピンとたて、私よりモデル然とスマートにすすんでゆく。腕時計は2時5分。
6分をまわる頃、男が何もなさげな闇に手を触れると、扉が四角くひらき。中には、くだりの螺旋階段があった。壁も何もかも黒いが、段の輪郭だけ、クリスタルの破片をちりばめたみたいに光り、扇状に無数につらなり、渦をなしている。
階段なのに、どこか写真を眺めるみたいな空間を、男のつめたいがやわらかな手の肉球で握られた儘、くだってゆく(ほんとうにくだっているか、怪しいものだが)。彼のおおきな革靴と、私のパンプスの響きにせよ、脚の踊る風なかろやかさにせよ、泡こそ出なくともまだ水にいる感覚をのこす。
アングルが横だろうと後ろだろうと、彼の、白磁にほそいヒビがはしるように美しい毛の模様、スーツから醸す、締まりながらも厚みある体躯……黒い空間に於いてそれは、さっきよりも生々しく浮いており、私はほんのすこし、いや、それなりに胸を高鳴らせ、見つめる(獣としてか、男としてか、美術としてか……やはり不明)。
男はときどき手をはなし、距離をあけて、二眼レフで私を見あげ(或いは見おろして)、パパラッチよろしくカメラで撮る。やはりストロボ等を使わない。どんな風に映るのだろう。表情からは何も読みとれぬ……表情じたい存在しないに等しいが、尻尾だけ、悪戯っぽくうねり。

時計を見るのを忘れたが、そうとう歩いたところでふいに、木目をはしらせた正方形の格子戸が、壁にあらわれた。
「ここだよ」
と言い男がひらくと、そこも闇だが、なんだかそれまでと雰囲気がちがい、懐かしいような、やわらかいような。男がさらに奥へ手をのばしたその時、光が液体となってあふれ。

ーーーーー

………光は、畳の部屋であった。私達は見知らぬ家屋の、掘り炬燵から出てきたのである。
気づいたら男は、部屋の隅にある火鉢の白炭にライターで火をつけ、箸でころがしている。スーツのうえに赤いチェックの半纏を羽織り。私もいつの間にやら、おなじ物を被されていた。さっきまで、と言うか海辺までは、春だったのに、この部屋は、冬だ。縁側のぼんやりと曇った硝子戸の外は麗らかだが、繁みに、残雪。すきま風が、つめたい。
硝子を掌ですこし拭いてみると、庭の土かと思っていたら、うすよごれモジャモジャに毛の生えた犬の顔があらわれ。ほぼ埋れた眼で私を睨み、吠えた。耳を垂らしているがそれはシンプルなまでに、犬然とした犬。きっと飼い主のほかに誰ひとり心を許さぬ野性を、射るような声と剥きだした牙にみなぎらせ。猫か虎か不明の男に向かっても吠えていたから、ここは彼の家では、おそらくない。

男は気にも留めず、何処から出したか餅を、火鉢で焼く。四角いそれらは面白いほど膨らみ、まるでオブジェみたいに、ちょっと官能的な造形をなす。醤油をかけ海苔をまき、貝細工が施された箸でいただく。私も鉄器の急須を何処からか手にしており、湯呑みふたつにお茶をそそいでいる。
「僕は何でも箸で食べるよ。ポテトチップでもチョコレートでも。毛につくと専用のシャンプーでなければ落ちないんだ」
「近所の餓鬼は僕を見るといつも、尻尾で結び目を作りたがるんだ。暇なときはやらせてやる。あとでそいつのお婆さんが『お詫びに』って、シャトーブリアンをくれるよ。どっちかと言えばサーロインの方が好きなんだけど」
「あなた入院保険はいってる? どこの会社がいいと思う?」
「『他人事の関係』って歌謡曲おぼえてる? 変な振り付けがあったよね。手をこうやってああやって……車運転してるときにラジオでかかってさ、うごかずにいられやしない……」
牙を見せずに餅を、それから籠にあった冬蜜柑も火鉢でぬくめ食べながら、男はいろんなことを、『ひとでなしカメラマン』の仕事といっさい関わりない話題を拾い、話す。でもカメラはやはり卓の脇においていて、ギュルルとノブをまわし、食虫植物のワンピースに不似合いな半纏を被り餅をガムの如くひっぱる私や話に笑ったり眉をしかめたりする私を撮りつづける。カメラを奪って、彼を撮ってみたりもした。彼のよくうごく左耳が、ファインダーでは逆に映る。漆喰の壁、桐箪笥や、赤い数字の日捲りカレンダー、飾り棚の土偶などを背景に、赤い半纏と黒のスーツ、そして彼の白磁の顔は、私などよりあんがい画になると言うか、不思議なバランスをとっていた。もたもた撮っている私は、尻尾で結び目をつくる餓鬼みたいだったろうか、彼は頬杖をつき、アイスブルーの眼でやや気だるげに見つめ。

炬燵のなかをのぞけばやはり闇なのに、どういう仕組みか、あたたかい。籠の蜜柑を平らげながら、トランプを切ったり散らしたりしながら……眠気が、虎の皮にでも身をくるまれるみたいに、やってきて。
窓の外が、さっきの砂風舞う遊園地跡になったり、赤白青金のネオン光る深海になったり、騙し画の螺旋階段になったり、またモジャモジャ犬の吼える庭にもどったり……大型テレビのチャンネルをまわすみたいに、唐突に、或いはのんびりと、景色を変えている。そんな、速いような緩いような、不安を煽るも何処か快いミニサイズのコースターに乗るみたいな、周りか己の意識か不明の流れにまざって、
「犬も人間も嫌いだけど、あなたのことは好きだよ」
という、芳しい囁きが耳もとにきこえる。それ、会う女みんなに言う文句でしょ? と返せば、
「信じるも疑うも、あなたの自由。シュンジュンするのは、人間の仕事だからね」
と、からかうように。
私、食虫植物でしょ? あなたと似たようなものだわ。

ーーーーー

寒い。ふるえて目覚めた。

そこは、3階ほどの高さ。とすぐわかるのは、寝そべっていた床が透明だから。不思議と怖くはない。

郵便配達夫の趣に戻っていた男が、私を抱きおこし。
「ごめん、ちゃんと家に送ろうとしたんだけれど……サイズを間違えてしまった。職業病だね」
そう言って、抱きしめる。彼『専用の』薬用っぽいシャンプーが薫るほかは、人間の男に抱かれるのと変りはない。肩ごしに、建物が崩れた風な、瓦礫……と思ったらそれは、私達よりもおおきな、本だった。………あぁ、ここって、我が家の冷蔵庫ではないの。冷却機能が弱まってしまい、食料を冷やすには役たたずとなったが、小ぶりで、棄てるには妙にいとおしく、無意味に読みかけの本などをおさめていたのだ。透けたプラスチックの床のむこうには、今日つけるか迷ってやめたネックレスが、銀の大蛇さながらにうねり、そして彼の二眼レフが、ありの儘に鎮座し。……そう、私達はいま、『写真で撮られたサイズ』となっているのだった。白夜の太陽を思わせるちいさなライトが、たよりなく、氷の洞窟みたいな白壁をぼんやり照らしている。腕時計は、6時28分。

クシュッ、と、カメラの音ではなく、私がくしゃみをした。
「まだ寒いかい?」
いいえ、私の、動物アレルギーだわ。
「………言えよ、はじめに」
と彼は、たぶん呆れたのだろう、口を歪め、肩をかるく小突いて身をはなし、顎をあげ私を見る。
お薬飲んでるから、あなただけなら平気。さっきはボサボサの犬もいるところに、長いこといたからだわ。
「……ふぅん」
琥珀の光がふりそそぐ、うちの冷蔵庫のトレイのうえで、スーツをきた猫だか虎だか知れぬ『ひとでなしカメラマン』が、ハードカバーの旧い推理小説と戦前のファッションイラスト図録にもたれ、ながい脚をひらき寝そべる。尻尾も萎らせ気味にして。
私は、実在したか判らない奇怪なファッションの図録から、彼は、推理小説から、はみ出てきた者であるか? と感じる。昔のミステリーは犯人を悟らせない為、人物描写を空白にすることがあるから、こんな猫虎男が紛れていたっておかしくはない。

なんだか、深海よりもっと、遥か遠いところへきたような気がする。衿ぐちを、冷風が撫でる。天井を見あげる。

「………ともあれ、今日はお別れした方が良さそうだね」

気だるげな、今日いちばん燻された感じの声。……なんだ、もう終りか、と、拍子抜けしたけれど、口にはださず、彼の無表情をまねる心持ちで顔の筋肉を留め、情事のあとみたいに、もつれた髪を梳く。

男はアイスブルーの眼をひらいた儘、動物みたく(?)四つん這いになり、顔をよせてくる。私はまだ気にも留めぬフリをしながらも、白磁に黒のヒビが規則的にシンメトリーにはしり、眸と鼻で3つの宝石を星座の如く埋めこまれた、奇跡的なまでに美しい顔を見る。『遥か遠いところ』にいると感じるのは、彼の存在にくわえ、シャンプーの奥にある、彼自身の匂いを覚えたせいだろうか。
手がひとりでに、頬を撫でる。はじめて彼の、砂風にも深海にも揺れなかった毛の流れ、乱れを見る。感触は、ケーキをつくる前の粉のよう。指が心地好く呑まれてゆく。

「又会おう」

たがいに壊れものでもあつかう風に、つめたい唇が、触れあった。

ーーーーー

4月某日 青(3/3)

仕事兼デートから数日後。

アイスブルーの封筒が、郵便配達夫、或いは殺人容疑者からとどいた。あまり厚くはない。あれだけ撮っていたのに。
私が彼を撮った写真は、何のシュンジュンもなく、棄てられているだろう。

とりあえず封はあけず、冷蔵庫にしまう。



©️2022TSURUOMUKAWA

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