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短篇小説『歌姫A』

 この街の学校や塾から、頭の良い子がどんどんいなくなる。

 狭くるしい街道と尺のあわぬカッコいい外車を特待生免許で乗りこなし、ルックスもクールなディスコファッションの男子Jが、窓から残映とろける学習塾に於いて、
「渡英する」
 と。
 男子Jは私の在籍する中バカクラスの隣の小バカクラスの更に隣のエリートクラスの教室にいた。私の耳に届いたのは、きっと右の人差し指を天井へと突きあげ机にベルボトムとヒールの左脚をのせていたであろう彼の渡英宣言ではなく、ニッポン演歌を吼えるよりも哀しく胸を搾り抉る、女性講師Yの、慟哭。
 残映によく映えて。

 アンユージュアルな出来事ではない。ノットオンリー塾、バットオルソー学校、そんな優等生の転校・転居・留学・療養・収容(!)が、なぜか去年より相次ぎ。
『街の偏差値が下がってゆく』
 と、危機感をつよめる大人たち。

 私は寂れて錆ついた商店街の一角にある、木造アパートに独り暮す。パパもママも中バカな私を其処においてラナウェイした。なんとなく帰りたくなく、夜に呑まれた商店街、布張りの屋根より吊られた時計も何処かのバカに壊され刻さえわからぬバカとなった商店街を、始点から終点まで電車ごっこみたいに行ったり来たりする。『中バカがやりそうな行動』と、担任Nに云われたんだったか通信簿に書かれたのだったか。

 中バカの感覚からして深更だと思うのだけど、居酒屋も暖簾をおろしスナックも妖しい燈火を消したなか、私のアパートの隣にある雑居ビルの半地下が、未だぼんやり光を漏らしている。
 階段をおり、覗くと、明明と開いているバーバー。ヴィヴィッドな紫と緑でまわるサインポール。円い把手のガラス扉をおす。
「らっしゃいっ」
 威勢のよいババーもとい女の声。視れば、特技はヒラメの5枚おろしと心臓バイパス手術ですと云わんばかりに鋭利な鋏と剃刀を手にし白衣を纏った、顎も切れ味するどい顔がこちらを向く。さっき去りゆくエリート男子Jに慟哭していた塾講師Yである。理髪師とどちらが副業なのか。涙なんて知りませーんという眼。
 中バカらしく言葉を紡げず棒だちでいる(しかもヒラメ顔の)私を、電氣でも流れそうな椅子に招き。白いクロスを巻かれ、生首だけの存在にされる。
「頭良う視える髪型にしたげるさかいな」
 と。

「……あたしはねぇ、この街がカシコで溢れようがバカの佃煮になろうが、どっちゃでもええねんけど」
 柳が風と囁くみたいに鋏を髪にはしらせながら、喋る。なぜか微妙にアクセントの外れた関西弁(そもそも関西は、バカでなくアホって云うんじゃなかった?)。
 曰く、件のエリートディスコ男子Jを色仕掛でも留められなかったことで『塾のレベルを落とした』と首にさせられかけているけれど、まあこっちの仕事もあるし、あたしを棄てたらどうなるか、あいつらも解ってるだろうし、と。楽譜をイグノアした言葉遣いの所為で、ぜんぶ私のなかで熟女の哀愁ジョークへと転調されてゆく。
 しあがった髪型は案の定、善くも悪くもドメスティックなヒラメ顔に映える、ヘルメットより重たげなお河童。
「これで牛乳瓶メガネでもかけたら完璧やね。カシコどころか天才少女の一丁あがりや」
 店を出るとサインポールが、ありふれた赤と青に戻っている。

 アパートへ戻れば、私や、隣近所の住人たち、私と似た境遇のクラスメイト少女Rやうちよりレベルのひくい学校の少年G、とうに勉学を棄てヒッピー氣どった恰好にくわえ牛の鼻環みたいなピアスをつけた少年Uなんかの荷物や家具が、渡り廊下の西隅に追いやられていた。
 比重を増しつつある街のバカを、思いの外はやく、掃き出しにかかっているらしい。
 西隅でむろん憤っている若い住人たち。東隅には鍵束を鳴らす大家の老人Kと、お役所関係だろう男たち。バカの声は聴こえませーんとばかりに、西のバカを一瞥もせず、なぜか揃って牛乳瓶メガネをいじりながら書類に眼をこらし、シリアスぶって話す。よくよく視たらそれは、街の風俗店のガールズおよびボーイズの写真付きリスト。「資産家キラー」「百年に一人の名器」「骨も残らない」「イチゲンさんお断りどすえ」などと呟きながら、やたら唇をピチャピチャと舌舐めずりしたり、欲情によるアレルギー反応なのか嚔を8連発したり。
 私がジャスト廊下の中央にある階段より顔をあらわすと、カシコ或いは天才少女を装う黒ヘルメット頭の鈍いかがやきに、西も東も、まるで警視監バッヂか将軍家の家紋でも視たかの如く、慄いていた。
 全員バカ。

 私はサイズの割に中身のない中バカらしい学生鞄をひっくり返し完全なるバカにして、粗大ゴミよろしく横倒しにされた箪笥よりトレーナーとジーパンと下着とあたらしい歯ブラシだけいれ、ふたたび外。
 バカによるバカの為のバカなセンチメントと虚無感ゆえか、よけい厚塗りしたみたいに深まり身を逆撫でする夜氣。とりあえず隣街の友人と呼べるか微妙な子の家にころがりこむかなぁそれとも……等と考えつつ、商店街をぬけ、公園に出る。不審者よけか草一本はえぬ更地にあるのは、朽ちかけた木のベンチと、オブジェか遊具か不明の、どのアングルより視ても女性の何処かしらの部位……臍だの尻だの指だの二の腕だの下の脣だのを彷彿させる、ミニチュアの山。
 コンクリートだろうが、弾力ありそうにも視える艷やかなベビーピンクの、のけぞる乳房の隆起みたいな処よりちょうど数メートルうえ、街灯も照らさぬ空に、浮かぶもの。

 アコーディオンの蛇腹の如く、否、もっと遥かにながく、幾重もつづき、ちぢんだりのびたり湾曲したりする、ヴィヴィッドな紫と、緑。
 それが、バーバーのサインポール等に幽閉されることなく、ホログラムみたく、夜を氣儘に浮遊する。蛇腹の筒からはほそい腕と、首が生えている。女だ。
 アウトラインは弓の如く反るが微睡む風に潤む眸、下より視るといっそう凛々しさのきわだつ鼻、アイシャドウとともに蒼く光る唇……知っている。憶えている。
 縦カールの美しい髪。総ての音階をたくわえるウィンドチャイムのように、つらなり、揺れる。トレードマーク。あの髪。去年夭折してしまった人氣歌手、私のいちばん好きな歌手、Aだ。今も明らかにされぬ死因。スーサイド説も囁かれる。
 紫と緑の蛇腹ドレスに身をつつませ、誰より何より三次元としてプラウドリーに彼女は、くねり、空に踊る。体型を隠すタイプの服かと思わせて、蛇腹はかたちの良い胸や、後ろに揚げた素の脚が頭にのるほどのやわらかさ、私の頭周りより儚かろうウエスト、その悩ましきくびれ等を、同性の心をもステアアップさせるほど、さりげなく、つまびらかにしてゆく。唇より、白い霧とともに、歌声を吐く。生前と変らず、雨粒みたくぽつぽつと、或いは絹の如くのびやかに。縦ロールのウィンドチャイムとドレスの蛇腹とが、音のない和音を厚くやわらかく、奏でてゆく。

 リアルなバンドは不在だが、歌手Aの背後にふたり、歌手Aより少し器量の悪いダンサーが、同系色のワンピースを纏いやはり浮遊しながら踊っている。こんなバカ街公園が、今夜の彼女のステージなんだ。
……いつの間にやら、私だけだった更地に、佃煮ほどのバカがいる。アパートの少年G少女R、大家K。牛乳瓶メガネ外したら異様にハンサムな役所の男と間接キスで煙草を吸いあう理髪師で塾講師のY、眠りについていた筈の商店街の面々……私やアパートの子と同様追われ荷をかかえた塾の子たち学校の子たち、なぜか彼らの後ろに隠れるように猫背でいる老若いりまじった保護者……学校の担任Nと、彼との不倫が噂される保健医F。食堂・購買部・用務員の三つ子みたいにそっくりなおばさんトリオ……揃って『資産家キラー』やもしれぬ舞妓とコールボーイを腕にまきつけた、H校長先生と、学校にいちども姿を現したことのない実業家のS理事長……如何なる情報網か遠方より馳せ参じた、歌手Aの出るテレビによく映っていたむくつけき親衛隊や、歌手Aのメイクや縦ロールや衣裳を安っぽくぎこちなくイミテイトした女性フリークたちも、本領発揮かそれよりはげしく、商店街の屋根や電線で静まっていた烏や鳩を夢遊病みたくざわつかせるほどの奇声をあげ……
 そんな、濃口醤油が匂いたつほどの地上の賑わいにたいし歌手Aは、愛想笑いのひとつ落とすどころか俯瞰さえもせず、寧ろいっそう孤独を噛み滲ませる風情で、アトランダムに己の歌集より歌をえらび、紡いでゆく。夜の虚空を我がドームとして響かせる声は、下界の如何なるノイズにも埋れず、個々の耳に涼しいまなざしで舞い降り。

♪アンセリウム 枯らしてく
 わたし 異国のデューン
 今宵もひとり 堕ちる男
 喉鳴らし 呑みこむわたし
 あなた垂らす 赤い泪
 愛してるフリ 我なくすフリ
 嫌いじゃないわ
 もっと悶えて 時代を嗤って
 電話の女(ひと)にお聴かせなさい
 束の間死んでくれって
 ジュリエットみたく
 共犯なんて 運命なんて
 くすぐったいわ 孔雀の羽根
 あなた サテュロス 只の獣人
 わたし この星 趣味じゃないのよ

 フィジカルなステージは無いし、卑猥な女体山のうえにも留まらず、公園敷地内の空をふわふわうごいたり、東西南北テレポートしたりするので、観衆のバカたちはターミナル駅のコンコースよろしくあっちへこっちへ移動するか、億劫になりカップ酒や裂きイカやビーフジャーキーなどを持参し地べたに座りこむ。
 鼻環のヒッピー少年Uが、彼の鼻環をとって性転換しただけのような恋人Tの手をひきつつ、私に近づいて耳打ち。
「抗議ムーブメントに来てくれたんじゃねえか? バカ迫害の。……ほら、顔がちょっと、よく視たら、怒ってる」
 そんなバカな。其処はアグリーできない。歌手Aの生れはこんな醤油くさい街じゃないし、所縁もない筈。明日消滅したって誰も構わぬ、国の内股の黒子みたいな街のてんやわんやに首突っこんで、いったい何のリターンがあると云うのか。『歌のチカラでお節介お説教お宣教だなんて、反吐もヘドロも出る』とインタビューでよく云っていた、そんな彼女が私は好きなのに。
……しかしファンの私は何となく、わかる。氣分屋である歌手Aの、精神状態。今夜のあなたは、鼻環少年Uが云うとおり、アングリー。喘ぐ風に刻まれた眉間の皺、といった判り易いサインだけでなく。怒りゆえの、いつもよりアリトルつよめのビブラート、ホーミーのようにうっすら二重で響く声。でもそれは、只「怒ってますね」と一笑に付され終るパンクしたパフォーマンスではなく、四次元に迄到るほど立体を超えた立体感で、薫るようなペーソスと頽廃美と凄味を伴う。怖いみたいで、ベストコンディションとは世辞にも云い難いながら、濃く淹れすぎたマイフェイバリットのブラックティーのように、蠱惑的。
 彼女は己のバカを嘆き哀しみ、命をおとしたのかな。それともカシコさゆえに、趣味じゃないこの星を棄て去ったのか。
 舞いくねりつづけるドレスの蛇腹が生む88鍵を超える色のグラデーションも、なぞれそうで存外おいそれとは出来ぬメロディの構造も振付も、複雑。
 でも、もしほんとうに『バカ迫害反対』でこの街に来たのなら、云っちゃわるいけれど、バカの私が云うのもちゃんちゃら可笑しいけれど、単純。
 ともあれ歌手Aは、アングリー。
 夜に歌を、光源たるドレスおよび彼女自身の眩さとともに、視えぬが心の襞をつたう赤い泪とともに、デディケートする。

 どの道を経たのやら、尺のあわぬカッコいい外車で件のカシコディスコ男子Jもあらわれ、酩酊しているかブランドロゴが股間と尻にアップリケされたブリーフ一枚でドアからとび出し、アフロヘアーを靡かせベビーピンクの女体山を這いのぼり、天に舞う歌手Aを慟哭しながら仰ぎ観る。
 オンジアザーハンド私は追うのをやめて、学生鞄を枕に横たわり、眼をとじ、歌だけ聴く。誰も話しかけないし邪魔しない。これも天才少女ヘルメット(とヒラメ顔)の威力?
 彼女の眼に私は、死んだフリのジュリエットみたく映るだろうか。そしたら氣まぐれに私のもとへ降りてきて、
「かわいそうな、おバカな子」
 と、黒ヘルメットの、ほんとうは誰よりやわらかな髪をほそい指で撫で、額にキスしてくれるのかしらん。慰めはんぶん、皮肉はんぶんで。
 ジャストキディング。





©2022TSURUOMUKAWA

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