見出し画像

掌篇小説『Z夫人の日記より』<144>

12月某日 窶

あの人のからだが生える。木の幹から。

ふせたひとみ。幽かに笑む唇。滑らかな髪。反る背中。

彫像ではない。いつしか木に身をやつした。ところどころ剥けた肌。

胸にそえる左手に、指環。それだけは、天然石の儘。
季節の所為か、あの人の想いか、私が訪れるたび変る、色と光の調べ。

雨に濡れても、石はあの人は艶をもつだけ。泣かない。


12月某日 麗

ホール。

チケットもぎりに並ぶ行列、賑わう物販コーナーや階段を、20センチほどの金のヒールで典麗に過ぎ、消え入りそうな指で防音扉をひらく、今日の主役たる歌手。

ながい髪、バルーンスカートが揺れても、整形とも天然とも云われるまなざしを、月影の如きオーラを正面から浴びても、誰ひとり、歌手の往年の髪型や衣裳を真似たフリーク達でさえ、無反応。

いつしか歌手のバルーンは宙に浮き、聴衆に影をおとしつつくるくると舞い、やがてステージへ降いおりる。

マイク前に立ち。
スポットがあてられた瞬間、雷鳴のように轟く歓声。


12月某日 朝

電話。

「初めての海外旅行よ。トランク整えて今朝発つ筈だったの。夫は私を吹くよりラッパ吹くのに夢中で同伴してくれないし、通訳も兼ねた知人を誘ったけれど、彼女が識るのはその国の公用語でないと判って……それから夜中に、イケズな姑と小姑から餞別みたいな果物が届いて。帰国までおいとくと腐るから、汁たらして貪ってたら、紫の夜明けが見えて綺麗で。鶏が啼くかわりに、ラッパが整腸薬のCMの曲を吹いてて……行くのやめたわ」


12月某日 眼

地上の雑踏に、白衣の彼女を見た。

深刻そうな顔だったが。あちらも気づき、歩道橋の上と下とで、手を振り合う。

翌日、皆で飲む。
昨日会ったね、と目玉が山程描かれたワンピースを着た彼女に云うと、会ってないわよ、と。

軀を捩らせ、食べられそうに肉厚の唇で斜向いの男とキスをする。

ワンピースの眼が
『何も云うな』
と、私を睨む。


12月某日 友

子供の頃からのペンフレンドがいる。
会った事はないが、おそらく似た年の女性。

始めは例文の如く尤もらしい日常を書いていたが「ルールがあるか?」とどちらからか気づき。

今は便箋に、電報のような一行(稀に数行)を書くのが通例となった。

今日きた手紙。

「隣家がピアノのソの音だけを2週間調律してる」





©2023TSURUOMUKAWA

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?