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掌篇小説『Z夫人の日記より〜回覧板』

5月某日 慢

日曜。

今日は事務所の連中で草野球をしているが、私は出場も応援もサボり、電話線も抜き、部屋でごろごろ。

仕事の付き合いから逃げていたら、そのうち干されるかしら? と、11階の部屋からふいに遊びにきて紅茶を飲む、高名な女装家に聞く。

「大丈夫ちゃう? でもユニフォーム着たらええのに。コスプレやん」

と笑う。
リボンがいっぱいついたタイツの脚を組みかえながら。

彼女が帰った少しのち、1階へ新聞をとりにゆこうと、出ると。

エレベーターのなか、彼女のファンで、公私にわたる付き人でもある痩せた男が、外の小雨か或いは何かぶっかけられたか、しっとり濡れ、しかし頭は立派な寝癖をそびえさせた儘、立っていた。

「追っかけるのがだんだん億劫になってきて……そのうち干されますかね?」

私が首をかしげている間に、エレベーターは閉まり、下階へと堕ちていった。

雨脚がつよまっている。野球も中止になればいい、と思う。


5月某日 女(壱)

母と渡り廊下をゆく。

その途中、3号室だか4号室だか、未だに覚えられないのだけれど。

黒い紗のカーテンがあり。
その向う、女がいる。

正座を崩しスカートから脚を投げだし、後毛を垂らし本を読み。
頁を捲る指だけでも、艶めき悩ましいが。

カーテンは元から黒なのでなく、女に纏わる下卑た気(異性の劣情、同性の嫉妬)を積年吸い、薄闇さながらに黒くなったと言われる。

今や、戸締りせずとも、人を虫を寄せつけぬ結界を成していると。

「何にせよ虫除けは便利だわね」
と母。

カーテンにはラメの刺繍があり。
そこだけは今も清く耀き、女を飾る。


5月某日 客(壱)

メノウの人が、我が家に泊まりにくる。

荷は持たぬが、宅配で籐の椅子がはこばれてきた。

「これでしか眠れなくて」

と、来て早々、昼間から寝てしまう。ブルーに塗られた籐にメノウの色は映えるが、裸だし痛くないか? と思うが。
寝返りうった背や尻は、型から出したばかりのゼリーのように輪郭なめらか、色の濃淡が層をなし、綺麗。

夜は一緒に食事して。
深更、独り出掛けてゆき。いつ戻ったか、知らない。


5月某日 裂

夫のトリマーを拝借。

むろん髭用だが、草や枝も刈れ、南瓜の皮をも剥く。

ベランダの宙に、10センチほどの黒い濁りがある。見た目は只の煙だが、爪をあてると、カツカツ音をたてる。まるで透明な巨人が腕をだらしなくのせていて、かわききった瘡蓋だけが見えるかのよう。

トリマーの電源をいれ、刃を瘡蓋にあてると、バリバリバリ、と空間が裂け、穴があいた。

覗けば、此方とおなじに薄曇りの、此方と左右造りが真逆のベランダ。

鏡を見るように正面に立っているのは、私によく似た、男。

「………おや、又ですか。
裂けましておめでとうございます」

と挨拶。


5月某日 観

渡り廊下。

欄干にもたれ、川からの涼風と夕陽をうけて、おばさんが小さなテレビを観る。

乱れるパーマの髪も、撫で肩から片方ずり落ちたカーディガンも気にせず、天に向けたアンテナだけをくりくりと弄りながら。

「ここじゃなきゃ観られないのよ」

画面には、

解読不明の方言による通販番組、
映画のベッドシーン、
ウェディングケーキを造る工程、

の、映像と音声がかさなりあい。

一体どれが、おばさんの頬を紅潮させているのかは、わからない。


6月某日 街(壱)

うちのマンションは12階迄の筈だが。

エレベーターに『40階』のボタンがあるのを、担架を入れる際つかわれる扉の脇に見つけ、押してみる。

時間をかけ辿りついた『40階』は夜で、道路もはり巡らされた街で、市場もブティックもレストランも風俗も、24時間稼働している様子。
ただでさえ高いのに、もはや月へ届いているだろうホテルも建っており。

マンションの特徴である、色をランダムに組まれたタイルの壁だけは、どんな建物も一貫している。

但し、たいてい玄関に“Members only”とあり、どういうアレか『会員』であれば何処にでも行けるようだが、そうでないと服一枚買うにも、この国の言語と異国語をまぜて、ごちゃごちゃ言われる。

人は少ない。

アロハシャツと短パンで軽薄そうだが、金の時計を揺らし羽振りは良さげな中年男が、タイル壁に物憂げにもたれる若い娘をナンパする。
娘は男にそっぽを向きつつ、男がもつぱんぱんの皮財布には、舌舐めずりしているみたい。

うちのマンションで何やってんのよ、と、思わず言いそうになる。


6月某日 街(弐)

メノウの人と、『40階』の街に建つホテルで寝る。

人間ではないので不倫にならず、配偶者も嫉妬せず、第三者も誰も興味を抱かぬ。

彼は『40階』の『会員』らしく。どこにでも顔だけでパスできた。

抱きあってもあまり温まらないメノウの躯が、まるで私の方が稀有な生き物であるみたいに、私のあちこちに己の色の光をあて、さぐる。

いきなり、ドアの鍵を突き破って、相撲の見習いみたいな、真ん丸に膨らんだ若造が現れ。

どうやらメノウの人に何かしら私怨を燃やすようで、奥に肉が挟まった読み解きづらい語り口で、喚くのだか呟くのだか。

メノウの人は、ほそい身をベッドから起こし、かるい張り手数回で、若造をいとも簡単に、窓から投げ出し。

言い訳もCMも挟まず、私への上手なキスを再開する。

横目で窓を見遣ると。
道路でぼよんぼよん跳ねている若造。


6月某日 軌

マンション10階のAさんと、8階のBさんが御結婚。

「同居せず式も挙げません。僕達すこし血の繋がった遠縁で、それ位の距離感が丁度良い。軌道の近い星みたいなもんです」

互いの部屋に柱時計を進呈しあった。

「おじいちゃん時計とおばあちゃん時計って言うんですよ。鐘の音も似てるけど違うんです」

と微笑む。


6月某日 声

男の妖精がくる。

髪も髭も服も、翼も白い(但し、飛べないらしい)。

聴診器をもち、
「壊れかけた物の最期の声を聴く」
と言う。

最近壊れたうちのダイヤル電話を診て貰う。
聴診器ではなく受話器をとり、何やら話す。

「………最期の言葉、知りたいですか?」

と、困り顔。

やめておき。

夫と3人で30分ほど電話に向かい読経をする。


6月某日 報

5階のおばさんは、通販で買った機械の類を、説明書も見ずいじり倒しては、おかしな事を起こす。

今日はカッコーが刻を報せる時計がきた。

何故知ってるかと言えば、今朝エレベーターが開いたら、それにぴったり収まる巨大サイズのカッコーが顔をだし、マンションが震動するほどの音圧で、9回鳴いたから。


6月某日 女(弐)

エレベーターに、落書き。

眼と眉のメイクが鋭めだが、微笑みの優しい瓜実顔の女。顔のほか、描かれているのは、髪だけである。不整脈の如く波のこまかいパーマがかかった髪が、エレベーターの壁六面に、あてどなく広がっている。燃えるように天へ盛り、或いは枯れたように地に垂れ。子どもの悪戯にしては絵柄の成熟が過ぎるし、と言って大人による意匠にしては、ギャラリーへの意識に欠ける。油性マジックで描いたものだ。つんと、匂いがのこる。何を見るでもなく眠る風に眼をほそめる女のそばには、『カミナガイ子』と、名前?が記され。

いつしかカミナガイ子の落書きは消されたが。それから、マンション内でカミナガイ子は実在するのか何なのか、彼女にまつわる何かしらの噂を日々、聞く。

「子どもがベランダから落ちたところを、カミナガイ子の髪が助けてくれたって。胴に遺されてたひとすじのうねる毛を、神棚に奉ってるそうよ」
とか、
「カミナガイ子は笑ってるように見えるけど、ほんとは怒ってるよ。とくに、男を怨んでる。うっかり近づいたら、睨まれて縫いぐるみにされる」
とか。

奉られたカミナガイ子の毛は見ていないが、4階で行政書士事務所をしているおじさんが、ピンクベースのパッチワークで編まれた縫いぐるみとなっているのは見た。もとからぷっくりした顔と体躯で、布の質感、綿の詰め加減がよく似合っていた。


6月某日 泳

男の妖精がくる。

眼がほそく、筋骨隆々。エアコンの修理にきた。

「部品交換だけです」
と言う割に、腕に抱えた段ボール箱は大きく、蠢き。

エアコン本体を瞬く間に分解し、肝臓みたいな物を最奥からごっそり抜いたかと思うと、かわりに、箱から鮪のような活魚を掴みとり、暴れるのをおさえ、つっこむ。ふたたび成型をし終え、蓋をとじたころでやっと、静かになった。

「これでいい風が泳ぎますよ」
と、灼けた肌をてからせ、誇らしげ。


7月某日 客(弐)

「お客嫌いなの。なのに来るの。
法事もないのに親戚とか、仲良くもない知り合いとか、赤の他人まで」

とこぼす、2階のYさん。

「誰も来ないよう御札を買って貼ったんだけど、ぜんぜん効かなくて……
よく見たらその札、

『待合室』

って書いてある。
道理で誰も喋らないし、茶菓子出したら変な顔されると思ったわ」


©2022TSURUOMUKAWA

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