今年生まれた娘が心疾患ほか指定難病を持っています。 切迫流産した妊娠前期、染色体異常を…

今年生まれた娘が心疾患ほか指定難病を持っています。 切迫流産した妊娠前期、染色体異常を指摘され、羊水検査を受けるか選択した妊娠中期、コロナ禍での出産、産後の付添入院など…。 当時、渦中の私が似た状況の方を検索した様に、いつか何方かの力になりたいと思い、記録を残していきます。

最近の記事

BTシャント2回目手術経過

●経過9/30 肺シンチ検査(肺血流の検査)→在宅酸素指示 10/1頃~ ミルクの1回量の多少が激しくなる(10ml~100ml) 450~550ml・9~13回/日 10/2 病院より電話。左肺動脈に対してBTシャント手術決定。    10/12は心カテ治療ではなくCT検査実施 10/3 在宅酸素開始 …酸素飽和度は80前半。あまり変化無し 10/11 ミルク量400ml/日と激減 10/12 入院。CT検査結果、肺動脈が予想以上に狭窄。16日に手術決定 10/13 肺動脈

    • 付添入院1回目前半 コロナ禍

      付添入院経過 ① 6/16 付添入院開始 ② 6/20 娘、尿路感染 ③ 7/03 手術日、7/17に決定 ④ 7/14 娘、尿路感染2回目。手術延期 ⑤ 7/18,19 私だけ一時帰宅 ⑥ 7/23-25 夫と付添い入院交代 ⑦ 7/28 手術、ICUへ。私一時帰宅(2週間) ①付添入院開始 産後2週間の体で新しい環境、細切れ睡眠、高血圧、高ストレス状態の私は速攻死に体だった。  ・新環境 … 面会禁止、外出不可。24時間隣に新生児。買い物やシャワーは保育士さんか看護師さ

      • コロナ禍での産後

        1.出産日 別の疾患も発覚 娘は出生後すぐ手術が必要な状態であることが分かった。妊娠中に聞いていた心疾患とは別の病気の為だ。(心疾患の手術は体重増加後に行う予定になった)  出産後、1時間も経過していなかった。まだ分娩室にいた私は、助産師さんから 「旦那さん、すぐ病院に来られる?」 と訊かれた。コロナのせいで母子ともに面会できないはずなのにおかしいな、と思ったかどうかは覚えていない。そもそもここいらの記憶は記録もしておらず断片的だ。落ち着いた後、夫と当時を振り返った時の記憶を

        • 妊娠後期・出産(8ヶ月~)

          1.妊娠8~10ヶ月 コロナ禍・在宅勤務 その後は2週間毎の妊婦検診。赤ちゃんの体重に一喜一憂する日々だった。私の体重増加も理想的(2週間で1kg)。一度、健診で「腸が腫れている様に見えるので次回また見る」と言われたくらいで、大きなトラブルはなかった。病気のことも、時々不安になるけど大丈夫と言い聞かせた。ただ、赤ちゃんの服をそろえたり、グッズを買ったりすることは恐くて出来なかった。家には何もなかった。  また、この頃からコロナが流行り始めた。これが妊婦生活の当たり前を変えた。

        BTシャント2回目手術経過

          妊娠中期(5~7ヶ月)

          1.妊娠5ヶ月・単一臍帯動脈の指摘 それは切迫流産の危機を脱し、復職して数日後の妊婦健診のことだった。5日前の健診で中期胎児スクリーニング検査を勧められてエコーを行っていた。その時初めて性別が女の子と分かり、ホクホクした気持ちでいた矢先の出来事。  思えば、そのエコーも少しおかしかった。  「ここが胃」「ここが足」「これが心臓。4つに部屋が分かれている」と説明した後、技師さんは何度も心臓の血流(赤色と青色が入り乱れる映像)を見ていた。最終的に「見えにくい部分があったから、また

          妊娠中期(5~7ヶ月)

          妊娠前期(~4ヶ月)

          1.はじめに プロフィールにある通り、私の娘は指定難病2つを持って生まれた。医療ケアも必要で、自宅での生活より入院生活の方が長い。  難病の一部は、妊娠中に分かっていた。  当時は血眼になって似た状況の方のブログやnoteを探した。今、以前の私と同じ様な状況で、情報を集めたい方が居たら、私の経験が少しは役立つのではと思いnoteに記録を残すことにした。 2.~妊娠2ヶ月 結婚4年目半ばを過ぎた2019年10月、妊娠がわかった。  それまでに化学流産(生化学的妊娠)を2回して

          妊娠前期(~4ヶ月)