コロナ禍での産後

1.出産日 別の疾患も発覚

 娘は出生後すぐ手術が必要な状態であることが分かった。妊娠中に聞いていた心疾患とは別の病気の為だ。(心疾患の手術は体重増加後に行う予定になった)
 出産後、1時間も経過していなかった。まだ分娩室にいた私は、助産師さんから
「旦那さん、すぐ病院に来られる?」
と訊かれた。コロナのせいで母子ともに面会できないはずなのにおかしいな、と思ったかどうかは覚えていない。そもそもここいらの記憶は記録もしておらず断片的だ。落ち着いた後、夫と当時を振り返った時の記憶をあてにして書いている。
 夫は娘の病気のことが気がかりで、職場の人に私の出産のことを伝えていなかった。いきなり「娘が生まれたんだけど、病気が見つかったし手術が必要で病院から呼び出されたんで早退さしてください」と言われた上司の気持ちはいかに。

 私と夫は、私が退院する産後1週間後まで会っていないので、ここからは夫からの伝聞である。
 早退した夫は病院に駆けつけ、娘とガラス越しに面会したらしい。娘の周りを20人くらいの医者が取り囲んでいて絶句したと。その後、説明室に通されて7人くらいの医者と対面し、2つの難病について説明され大量の同意書を書かされ、疲れ切ったそう。この辺りのつらさや複雑な思いを会って話して即座に共有出来なかったことは、その後のお互いの精神面に大きく影響した。

2.産後1日目

 翌日、高血圧継続中の私は病室のベッドの上。車いすでNICUに行き、少しだけ娘と会った。たくさんの管を付けられた娘は、あたたかくてぷにぷにしていて、とても小さかった。

 夫は手術の立ち会いで待機室で待機。面会禁止のため、夫には会えない。娘の状態は夫からの伝聞、直接話もできない、病室でひとりぼっち、医療関係者以外は誰も来ない。看護師から渡された予定表には「沐浴指導」「退院後指導」の文字が並ぶ。
 さらに小児科の医師から、「娘がNICUから出て小児科病棟にうつったらお母さんには付添い入院してもらいます」「コロナがあるから、付添いの交代や外出、面会はできません」と言われた。
 このまま病院から出られないの。誰にも会えないままなの。そういえば仕事はどうしよう。そこから徐々に気持ちが落ち込んでいく。

3.産後2日後~6日後(退院)

 娘の手術は無事終わったが、高血圧が続く私はさらに母乳もほぼ出ない。4日目頃から搾乳するよう言われたが、何されても1~5mlくらいしか出ない。
 3日目頃からは「なんで健康に元気に産んであげられなかったのか」「夫や母親に会いたい」「今後娘はどうなるのか」心配と不安が募った。本来なら、身内が面会に来てくれて、話を聞いてもらえただろう。しかし、コロナ禍の面会禁止がもろにメンタル面を直撃した。3時間おきの(しかもほぼ出ない)搾乳による睡眠不足も加わり、エジンバラうつ調査票で引っかかる。

 カルテでこの情報が共有されたらしく、助産師、医師、看護師(産科もNICUも)もろもろに会う度に慰められ励まされた。良い年をして情けなかった。
 医師からも付添い入院は一度お母さんが退院してからで良いと言われ、私ひとりで退院した。

 1週間ぶりに家に帰り、夫と会い、母と会うことで少しずつメンタルは回復していった。付添い入院が始まる10日間、娘の名前を決めたり、出生届を出したり、病気関係の書類の申請に行ったりすることが出来て、本当に良かったと思っている。