妊娠前期(~4ヶ月)

1.はじめに

 プロフィールにある通り、私の娘は指定難病2つを持って生まれた。医療ケアも必要で、自宅での生活より入院生活の方が長い。
 難病の一部は、妊娠中に分かっていた。
 当時は血眼になって似た状況の方のブログやnoteを探した。今、以前の私と同じ様な状況で、情報を集めたい方が居たら、私の経験が少しは役立つのではと思いnoteに記録を残すことにした。

2.~妊娠2ヶ月

 結婚4年目半ばを過ぎた2019年10月、妊娠がわかった。
 それまでに化学流産(生化学的妊娠)を2回していた私は、今回も不安でいっぱいだった。しかもその前の化学流産の時同様、hcg値はかなり低く、医者に「(妊娠継続出来るかは)祈るしかない」と言われる有様だった。
 それでも娘は看護師に「こんなにhcg値が増えたのは見たことがない」と言われるほど驚異的にhcg値を伸ばし、胎嚢確認、心拍確認と順調に進んでいった。

3.妊娠3ヶ月・切迫流産

 しかし順調だったのは12週まで。
 何の前兆もなかった。
 職場で腹痛を感じてトイレに行った瞬間に大量出血。流産したと直感した。止まらない出血をかろうじて1枚持っていたナプキンで抑え、病院へ電話した。
(妊娠して生理が止まっていたのでストックが壊滅していた)

 混乱して震えが止まらなかったが、脳内では「大丈夫だよ」という声が駆け回っていた。
 事実、大丈夫だった。
 おそらく胎盤の位置が悪く血腫ができたらしく、3週間入院、1ヶ月半安静(休職)指示が出たが、エコーで確認した娘は手をパタパタさせていて、心臓も動いていた。

 振り返って思うのは、当時仕事が繁忙期で立ち仕事も多く、「無理すんな」という意味の切迫流産だったのかも知れない。もし、入院がなければその後は休日出勤も伴う激務予定だった。
 あと、運が良かったとも思う。
 私は自宅と職場の距離が90kmある遠距離通勤をしていたが、産婦人科は自宅近くに通っていた。が、里帰り出産の予約のために、職場・実家近くの産婦人科で初診を受けていたのだ。それが入院の2週間前。これがなければ、職場で出血した私は、受け入れてくれる病院を探せただろうか。
 さらに繁忙期だったその時期、唯一その日は予定がなかった。1日ずれていれば、異常を感じてもすぐトイレに行けないような予定が立て込んでいた。

 ちなみにこの際、大量出血は1週間弱続き、その後減量→色が茶色→消失→退院となった。
 最初の4日間は絶対安静(トイレは尿管留置カテーテル)、シャワー解禁まで1週間、その後もシャワーは3日に1回、2週間点滴(子宮収縮抑制剤)だった。当時は辛かったが、その後コロナ禍での付添い入院(面会・外出・交代禁止の軟禁生活)を2ヶ月体験したため、それに比べたら屁のかっぱである。