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毒親からの虐待、トラウマ治療日記。ヨーロッパにて。

実の両親から身体的、性的、精神的虐待を受けて育ち、大学卒業後にヨーロッパのとある国の首都に留学という形で逃げました。

私の家では父が過干渉、母がネグレクトで、父が毎日過剰に私の生活と人生に関心を持ち、支配していました。

子供のこととなると、父が物凄く興奮しながら、細部まで関わってきて、何事においても過剰に心配し、悲観的な先読みばかりしては脅し、親の言う通りにしろと怒り、とにかく絶対に放っておいてくれませんでした。

一方で母は、子供に無関心でニヒルでドライな女性を装い、「父を怒らせない様にうまく立ち回れ」と言って助けてくれませんでした。でも異常な行動ばかりする父への愚痴は延々と聞かされました。
母からは「早く出て行け」とよく言われ、実際に外をウロウロ徘徊した事も何度かあり、今まで麻痺していたけど、私はまだ小学生だったので実は辛かったのではと思う。

そして父には常々「そのままのお前ではダメだ、朝から晩まで毎日死ぬ気で努力しろ」と小さい頃から言われ続けました。

中学生になると、父に「世の中の人間は悪であり、友達でも絶対に信用せず、親の言うことだけを聞いて、自分の考えを持つな」と滅茶苦茶なことを言われる様になってきました。

この手の理不尽な要求に疑問を呈すると、逆ギレされ何時間にも及ぶ説教で頭がぼーっとなり、機嫌が悪いと脅しや暴力に遭い危ないので、家にいると本当に頭が変になりそうでした。

なぜかお年玉もバイトの給料も親に渡す決まりで、門限も同級生に比べてとても厳しく、外出も極度にコントロールされました。

小学校高学年で私の身体が急に女性的に成長すると、理性を抑えられなかったようで、妙な理由を付けて寝ている私の胸を触りに来たり、股の辺りをジロジロ見られたりしました。


父は田舎の農村の出で、まるで、女の子は道具だと頭から決め付けているようでした。
将来的には自分の介護をさせるつもりであるのと、父の人生の虚無感を埋めるために、「お前はこれではダメだ」の口癖で、私の人生を乗っ取り、支配するつもりだったのだと思います。

【養ってやってるんだから】【父親だから】と何の悪気もなく、自分の振る舞いは正しいと思っている様でした。常識を教えるとよく言っていましたから。
私が40歳を超えていても、まだ大きな声で怒鳴りつけてきて、私の考え方を否定し、変えようとしました。

私は小さい頃から父が恐ろしく、大嫌いでした。
子供にとっては嬉しくもない悪戯というか、目的の解らないからかいの様な事を突拍子もなくされ笑われたり、ダメ出しばかりされ、学業などでかなりいい結果を出しても大して褒めてはもらえず、さらなる努力と父の言いなりになる事を絶えず要求され続け、家では全く気が休まらなかった。

父が狂っているので、他の家と違って私の家はおかしいんだと中学から気付いており、10代は父の狂気に振り回される事が一番の悩みの種でした。

父には大きく構えた大人の男性らしい所が一切なく、すぐに怯える不安障害の傾向があり、会社で社長との関係が上手くいっておらず、帰宅しては母とまだ子供の私と姉に会社の愚痴や泣き言を言いました。

「お前らを食わす為にお父さんはこんなに辛くても働いているんだぞ」と。

「お父さんが好き勝手に生きたら、どうなると思っているんだ。お前たちも家族を優先し、好き勝手に生きるな」と。

社長に虐められている父の弱さを見て、堪らなく父が不憫で泣いたり、父を救ってあげられない自分や、父を嫌悪する自分に大きな罪悪感を抱きましたが、それでもやはり父が恐ろしく、憎い事に変わりはありませんでした。

こういう嫌な過去を全て捨てて、自分の人生を全て自分の力で、全て一人で決められる自立した生活に憧れ、人生をやり直したいと思って、海外に移住し20年間頑張って生きてきました。

薄っすらと自覚してはいたけど、これらの暗い過去が自分の人生に大きく影を落としているのだとハッキリ自覚できたのは、去年の夏にカウンセラーの治療を受けてからです。

仕事中に今まで経験した事がないパニック発作という症状が起きた事と、当時の彼氏に見捨てられ不安を刺激されると、我を失いそうになり暴力的にすらなってしまう傾向を何とかしたくて受診しました。

少し年上の日本人女性のカウンセラーに生育歴を話す中で、私の父親の暴力は10段階中の9のレベルで危険な物だと言われました。今の日本なら児童相談所が介入してきて引き離されるレベルだと。

私は感覚が麻痺していたので、カウンセラーの話は最初は信じられませんでした。誰もが皆、親には殴られた事があるものだと本気で思い込んでいたのです。

ウチは確かに暴力が多い家だったけど、もっと酷い家の子(腕にタバコの焼印が押されていた)を実際に知っているし、昭和だったから仕方ない。
ニュースで見るように虐待で殺されなかったんだからマシとか本当に本気で思っていました。

居間の父親の席の後ろには木の棒が立て掛けてあり、父が何かを命令した時(風呂に入れとか、二階に上がれとか、庭の掃き掃除をやれとか)に私たちが渋ると、父は木の棒に手を伸ばしゆっくり数を数え始めます。
10になったらこれで殴るからその前にやれという脅し。そんなのは日常の一コマでした。

顔を何発も殴られ流血で顔が腫れて学校を休んだり、首を掴んで持ち上げられ自転車の上に投げ飛ばされたり、腕を捻られ捻挫したり、髪を掴んで地面に倒されたりして、確かに暴力で何度か怪我をしていました。しかも父の機嫌を損ねたからという、躾とは程遠い理由で。

でもどういう訳か、これらは大したことではないと思っていたのでした。去年の夏まで誰にも話した事すらありませんでした。
なのでいくら虐待だと言われても、えーそんな大袈裟な事では…と正直思いました。

「でも毎日のように殴られた訳じゃないので」とカウンセラーに言うと、「一回でもこういう事が起きてはいけないんです」「暴力を受け入れてはいけない」と最初の数回のカウンセリングで懇々と諭され、徐々に目が覚めました。

「いくら昭和の日本でも、世の中の大半の9割以上の人はそんな酷い暴力には遭ってない」と言われた時に、私は心底びっくりして、帰り道に地下鉄で「あの人もこの人も親に殴られた事はないの…?嘘でしょ…?そうだったのか…」(ここは日本ではないですが)って、何だか世界が新しく見えました。

このカウンセラーには10回ほど通いました。
実は性的な悪戯も何度かされた事を打ち明け、「これも虐待ですか?」と聞いた次の診察で、もっと上のレベルで治療をして下さいと精神科への紹介状を渡されました。

無償の愛という物を受けていたら、どんなに人生が違ったんだろうと思います。どうやら多くの人は親にちゃんと愛情をもらい、安心感に包まれ、心を支えてもらっていたようなので。

「親と話し合ってみたら?」とか、「過去は切り捨てて生きた方が良い」と、虐待を受けてない友達に言われたりして、大好きな友達でも健全な家庭育ちの人とは、私のこの気持ちは分かり合えないと勝手に傷ついたりします。
子供が生まれると聞くと、勝手に孤独を感じて寂しくなります。

恋愛も依存しては辛くなって、振られてばかりで、ものすごく孤独で家で泣いているのに、人と会うとなると疲れる。

愛着障害の私に寄ってくる(または私が好きになる)男性は、付き合うと暴力を振るうことがとても多かったので、治るまで男性と付き合うのはやめています。

現在この国でちゃんと専門家の元で治療はしていますが、去年はドクターショッピング状態に陥り、今年やっと良いカウンセラーに出会い、2回治療できました。

だけどすぐには結果が出ないし、治るまで後どのくらい辛い思いすればいいのか、と暗闇に入ってしまう時間が週に何度もあります。仕事も辛いし、安楽死が羨ましかったりします。

それでも何とか自分を癒して、這いつくばって前に進んでいるので、その治療と変化の記録を書き残していきたいと思います。
誰かの役に立つかもしれないし、書くことが好きなので、初めてだけど、ネットに書いてみます。至らない点もあるかと思いますが、どうぞ宜しくお願いします。

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