名字が変わる

名字が変わることに抵抗がないのだろうか
自ら選んで変える結婚の話で


どんなに早くても16年は連れ添った名前との決別はそんなに簡単なものなのか

日本は20代までに
ここで人生がほとんど決まるのではないかと言うくらいの
学歴でレベルを図られて
他人からの目のランク付けが行われでしょう

人との出会いも交流も多いでしょう

そんな学生時代に
名字ので呼ばれたり名字があだなだったり

わたしなんてバイト先でも学校でも
名字でしか認識されていないだろう存在感

そんな人間が名字を奪われること
わたしの俗に言う青春時代も一緒に
奪われるようなものでしょう。

Facebookでリストに出てきても
旧友だとは思わないだろうよ、誰?よ

結婚すれば名字が変わる
そんなものか、そんな当たり前なことに
突っかかるのがおかしいのか

もしも子供ができて
その子供に自分の名字をつけたいなんて
私有欲求なんてなくて

ただ、今までの自分を失うような
そんな怖さがある

ペーパー離婚なんて言葉も出てきて
失った名字を取り戻す人もいるらしい

早い結婚という高い高い階段をのぼって
周りの子っちらを見下したかったけど

周りの子っちらが同じ段にきてしまったから
なんかまた他の階段をのぼって
見下ろしたくなったのかなと、、(偏見)

そんなこともないのか
そんな時代だったからか

当たり前を当たり前に受け取らなきゃ
立場のなくなる時代だったからか

あー、結婚ってそんなもんけ

私は名字を失いたくないよ、

結婚は夫婦別姓が認められるまでは
しないだろうと思っていた。

でも違った、結婚て違うんだ

この人のためら名字を捨ててもいいと思った

アイデンティティかもしれない名前が
変わってしまったとしても
この人と家族になりたいと思った

なんなら、仕事も家も捨ててきて
それでも名字は手放さなかったのに
今は名前まで捨てもいいなんて思ってる

あー、結婚ってこういうものだよ。
こうやってするもんなんだよ

ペーパー離婚ってなんなんだろ

名前を戻したからって
一度変わってしまった何かは戻らないよ

私はそう思うのでした。個人の自由です。

そう思うとやっぱり少し怯む
これがマリッジブルーですかね。
まだ結婚しないのに失う名字について考えた会でした。

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