行きたくない の気持ち

学生時代に引きこもりだった時期がある
1年くらい、あの1年は本当に長くって、、

だから行きたくないって思うと、ふと
あの頃に戻ってしまうんではないかと
      不安になる

もう大丈夫だとあたなはもう大丈夫と
ここ数年のわたしが教えてくれるのだけど

日曜の夜の「行きたくない」の心の重さが
他人より重いものなのかもしれないと思ってしまう

本当はもう知っている、そんなことないこと
わたしが特別ではないことを知っている

家から出れなくて
駅に向かえなくて
電車に乗るのが怖くて
最寄駅で降りれなくて

駅から学校に足が進まない
校舎に入れない
階段を登れない

あれ、学校に行くまでに
こんなにも困難があったものだったっけ

普通に通えてた時は気づかなかった
普通に通い続けた人は知るよしのない

あの孤独を
あの苦しさを
呼吸もしにくくて
体が震えて
そんな自分が不甲斐なくて

普通だと思ってた自分が
普通でもないかもしれないという察する恐怖

友達には、先生には、家族には
どう思われているんだろうという
他人からの目が気になって

人の目に触れたくなくなって
部屋のドアを開けるのがこわくなって
もう存在が消えて欲しかった

家族が寝静まった夜にお風呂に向かって
誰にも会わないように部屋に戻る

よくないことだとわかっているのに
抜け出せないんだ、
なんであんな狭い世界に生きなきゃ
いけなかったのかと思う

高校生までの世界ってほんとうに狭いし
自由になる時間もお金もなくって

こんな苦しさを通過しないと
大人になれないなんて辛すぎる

そう思うと、どうしても自分が子供を授かる
イメージも理想も持てなくて

結婚願望もなくて、一定の周期でくる
同世代の結婚ラッシュに、なぜ結婚したがるのか、、
自由を早く失う彼ら彼女らに
祝福とは別の感情があったりした

そして私はいまも独身だけど

一緒に生きていきたいと思ってくれる人がいる
ことを、先日初めて知ったとき

それは、なんか、とっても幸せ幸せで
みんなは教えてくれなかったよ

家族になりたい人がいるということが
こんなにも幸せで幸せがそわ溢れることなんて

初めてふつふつと初めての感情が
呼び起こされてきあた

わたしは変わるのか、変わるときなのか

あー、言葉にしてみると、重いなあ
いつ死んでもいい人生は軽いなあ

そんな手軽さを手放して飛び込もうとしてる

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