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薄給なもので、手を抜いている。

自分は個人の仕事と合わせて、組織に所属している。だらだらと月日がたってしまったが、作業環境を支給されて税金を払ってもらっている、ヒモのような状態である。

自分の環境は個人事業を営むものとしてはラッキーなことで、追われる納税も、積み重なる経費も、会社に多少出資いただいているので文句は言えない。そんななか、組織の中で頼まれたくだらない仕事をこなしていたら、当括役にこのように言われた。
「もっと頑張ってくれませんか?クオリティをあげて欲しい。」
あら、すみません。とその場では言葉が出たが、頭の隅に
『ええ、でも、給料が安くて、個人の仕事で稼ぐほうが割が良いのに。この仕事を個人の仕事と同じクオリティでやれというのですか?それは無理です。自分の仕事の尊厳にかかります。』と、喉元まで来ていたが、飲み込んだ。言うと雇用にかかわるだろう。

ただ、自分が正論なのは否定しない。
世の中は会社に勤めていれば頑張って査定を上げるのが普通、昇進コースで社内のランクアップにつとめて各所にマウントが取れるような人材になりたがる。サル山にのぼれば、上をめざしたくなるものだろう。

自分のようなコースから外れて、でも組織には所属していて、だらだらと安い給料をもらっている身分からしたら、サル山にはのぼりたくないのだ。
フラミンゴのように、水に足をつけながら寒さと戦うふうでいたい。住んでいる環境が違いすぎて、猿に「お前も山を登れ。登るためにがんばれ。」と言われると、冷たい水に足をつけて身を守っている方が自分は好きだ、と改めて思える。もちろん、山のてっぺんにバナナが豊富になっていて、ドンキーコングが踊っているような山なら興味津々で登りたいが日本のサル山で魅力的な山などほとんどないだろう。
そうなると、給与や待遇が良くないなら適当に仕事をするフラミンゴでいいのではないだろうか?フラフラと左右に揺れながら、個人の仕事に自分なりの価値をもとめ、サル山の文化にはくだらないなと思いながら最低限の賃金を得る。責任感はそこにはない。責任感は、給料が良いやつが持ってくれ。

すべての人へ、仕事を任されたからといって、やりきる必要はない。頑張る必要もない。対価を得られたり、誰かに認められたりしたいなら、やったほうがいい。
ただ、全員にそれをもとめる企業文化、ましてや使えない統括役は、自分は信頼していないとサル山に向かって冷たい水から叫んでいる。

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