昼寝の哲学
どうして人は、地面に座り込んだり、寝転がったりしてはいけない、と思うのだろう。もちろん通行の妨げになるとか、けがする恐れがあるとか、そういった事情はある。でもそれ以前に「そういうもんだから」という意識が刷り込まれている気がする。
少なくとも、私はそう。「みっともない」「怒られる」と反射的に思ってしまう。そういった気持ちって、いったいどこから来るんだろう。
小野塚さんを見ていると、よくそんなことを考えさせられる。
みんなでお出かけしたときに、彼は公共の施設の床に座り込むことがある。
私は思わず注意したくなるのだけど、ふと「あれ?なんで注意しなきゃいけないんだっけ?」と立ち止まる。
そして色々考えるのだけど、結局答えは出ないまま、「まあいいや」と見守ることにする。
注意したくなる気持ちの裏には、「自由でうらやましい」という本音があるのかもなあ、と思う。
小野塚さんの麦わら屋での1日は、外出プログラムのほかに、ドライブ、手洗い(手を繰り返し洗って、時には顔まで洗う)、事業所内をウロウロする「お散歩」などがある。あとはたまに粘土をこねたり、紙を切ったり、木工をしたり。どんなものを用意したら楽しいだろうかと、職員は日々試行錯誤している。
そして彼の大切な活動の一つに、昼寝がある。
お気に入りスポットは、麦わら屋の奥にある部屋。
静かな空間が好きな人が内職作業をしたり、裁縫したり、休んだりする作業室だ。
小野塚さんはこの部屋の床に、ごろーんと寝転がる。
実際にぐっすり眠ることもあるし、ただニコニコしながら、寝がえりを打ったり、カーペットをいじったりしていることもある。
私が観察している限り、最近は周りに人がいればいるほど、ニコニコしている感じがする。
そしてその寝相がまあ、なんとも芸術的なのですよ。
この大胆さ、自由さ。見ているだけで、ふっと気持ちがほぐれる。
最近は「芸術的な寝相シリーズ」と題して、職員のライングループでシェアするのにハマっている。
「ふっ」となっているのは、どうやら私だけではない。
通りかかった利用者さんや職員が、ごろんと寝ている小野塚さんを見て「ふふっ」と笑う。背中を丸めて作業していた人が、ふと振り返ったときに小野塚さんを見て、「ふふっ」と笑う。
ある利用者さんは「小野塚さんは、麦わら屋で一番自由な人かもしれないなあ」と言っていた。たしかになあ、と思う。
正直に言ってしまうと、「小野塚さんにはもっと、活動らしい活動をしてもらわなくて良いんだろうか」と思う瞬間もある。私はただ昼寝姿を見守っているだけだけど、それって自分の仕事をまっとうしていると言えるんだろうか。一種の焦りも感じる。
でも最近は、これも小野塚さんの大切な活動の一つなんだな、と思うになってきた。
彼の昼寝姿には、空間をほぐす力がある。
自由で良い、疲れたときは休んで良い。そんなメッセージを周囲に発信することで、麦わら屋全体に、じわじわと影響を与えているのだと思う。
そんなことを考えながら、うらやましいなあと思いながら、今日も私は「芸術的な寝相シリーズ」を撮り続けている。
(文:広報スタッフ/ライター 原菜月)
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