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塗り続ける人

 麦わら屋の作家のひとり、篠田さんを紹介したい。彼はあまり言葉を発さず、大きな体をゆっくりゆっくり動かす。歩くのもゆっくり、食べるのもゆっくり。時折ニヤッとしながら辺りを見回したり、よく分からないところでツボにはまって「クックックッ」と笑ったりする。しかも、なぜかこちらの顔を見てクックックッとなることがある。「ちょっとぉ~失礼しちゃう~」と応じると、またクックックッと笑う。篠田さんの周りにはゆったりとした時間が流れていて、私はいつも勝手に癒されている。

 篠田さんは、多くの時間をアート工房で過ごす。朝、工房に到着すると、エプロンを手にこちらを見てくる。目線で「着けるのを手伝ってくれ」と訴えるのだ。駆け寄ってエプロンの紐を結ぶと、満足気な顔で帽子とアームカバーを着け、絵具と筆を持って椅子に座る。
 穏やかな篠田さんは、この時点でアーティストに「変身」する。彼は、目の前にあるものをひらすら絵の具で塗る。塗って塗って、塗りまくる。何かに取りつかれたように、突き動かされるように筆を動かす様子は、すごい気迫を帯びている。休憩時間になっても、周りを気にせずずっと塗り続ける。

座布団に模様を塗る篠田さん

 塗るものは、スタッフが用意した紙や段ボールの板、筒、座布団など多種多様。昨日まで青かった作品がいつの間にか真っ赤になっていて、スタッフが「あれ?!」と二度見することも少なくない。絵の具が何層にも重なり、作品は少しずつ厚みを帯びていく。

 篠田さんと出会うまで、私は「何かを完成させる」ことが制作だ、と思い込んでいた。「こういう作品を作りたい」というイメージを持って、作り始める。イメージに達したら、作業を終える。そういうものだと思っていた。

 だが、篠田さんの作品に終わりはない。こちらが止めないと、同じ作品をずっと塗り続ける。最初は正直「これで良いのだろうか?」と思った。何かもっとこう、作品らしくしたほうが良いんじゃないか。自分でも説明できないモヤモヤがあった。
 でも制作風景を見ているうちに、そもそも自分の考え方が狭かったのだ、と思い始めた。彼の制作は、筆先が何かに触れる感覚を味わう、身体性のようなものが原動力になっている。この気迫がどこへ行きつくのかは、たぶん誰にも分からない。こちらが考えるのは、どんな作品を作るかではなく、どうやって彼の塗りたいという欲求を満たすか、そして何を塗ったら本人や周りが面白いか、ということかもしれない。篠田さんの塗る行為は、自分の中にあったアートの定義をぐっと広げてくれた。

 …と、思っていたのだけど。彼の制作風景を撮影しているうちに、あることに気がついた。彼はいま、大量の紙コップを塗っているのだが、ただ目の前にあるものに色を付けているわけではない。コップをひとつひとつ取捨選択し、ぐるっと吟味してから色を塗っている。しかもどうやら、ただ空白部分を埋めているわけでもない。たしかに篠田さんの中で何かを考え、計算しながら制作している。

カラフルな紙コップがどんどん増えていく

 いやあ、本当にすごい。自分の見方はまだまだ浅かったのだ、と思い知らされた。そしてもうひとつ、篠田さんを見ていると、不思議と自分も何かを塗りたくなってくる。自分の中にあった何かが呼び起こされるような感覚だ。麦わら屋に来た際はぜひ、篠田さんの制作風景をのぞいてみてほしい。

(文:広報スタッフ/ライター 原菜月)

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