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人生を切り開きたい全ての人に捧ぐ、”書く技術”のススメ。ーー気まぐれすぎる書評シリーズ「ゆこさんの本棚」#1

なぜ、若いうちに’’書く技術’’を身につけるべきなのか。
答えはひとつ、「書くことは、考えること」だからである。
’’書く技術’’を身につけることは、そのまま‘’考える技術''を身につけることにつながるからである。
ー『20歳の自分に受けさせたい文章講義』より

先月末から、ライターのオバラミツフミ氏が講師を務めるInfraライティング講座を受講している。第2回講義のなかで示された初の課題図書、それが今回の記事で紹介する『20歳の自分に受けさせたい文章講義』(古賀史健著/星海社新書)だった。

筆者の古賀史健氏は、日本屈指のフリーランスライターであり、これまでも多数のヒット作を世に送りだしてきた。なかでも代表作『嫌われる勇気ー自己啓発の源流「アドラー」の教え』(岸見一郎共著/ダイヤモンド社)は2013年の発売以来、国内累計208万部・世界累計485万部という空前絶後の大ベストセラーとなっている。
『20歳の~』はそんな古賀氏の単著デビュー作であり、ライターとして現場で蓄積してきた”書く技術”を余すところなく「講義」してくれる本だ。
この記事では、本格的な「講義」に入る前に古賀氏が我々に示す「ガイダンス」をダイジェストでお伝えしてみたい。

「話せるのに書けない!」

我々の生活はあらゆる形の文章と密接に関わっている。書籍や書類のみならず、レポート、ネットニュース、メールやSNS…。
インターネットが社会に浸透して久しい今日この頃。手のひらのスマホ一台からあらゆる情報が溢れる現代において、文章に全く触れずに過ごす、なんて日は数少ないはずだ。

このように、我々にとって文章は身近な存在であることは疑いの余地がない。にもかかわらず、「私は文章を書くのが苦手だ。」そう思っている人は少なくないのではないだろうか。

口でならいくらでも表現できるのに、どうしても文字に起こせない。
話せるのに書けない!
文章の書き方なんて小学校の作文の授業でとっくに習ったはずなのに、いざとなると全く手が動かない。

かく言う私もその一人だ。

同じ「言葉」のはずなのになぜこんなにも自由に操れないのか。
なぜ書こうとすると「ピタッ」と手が止まるのか。

書くに書けないもどかしさに身悶えし、一体幾つの言葉の塊たちをお蔵入りに処してきただろう。完成品として日の目を見させてやれなかった彼らには申し訳ない気持ちで一杯である。

でも、古賀氏は教えてくれた。
我々は書き言葉を前にしてもどかしくなって、身悶えしまくって当然だったのだ。

古賀氏は本書の冒頭で我々に起こる「話せるのに書けない!」の原因を簡潔に示している。
氏の言葉を借りるなれば、実は「話すこと」と「書くこと」はまったくの別の行為でありそしてなにより、我々は"書く"という行為の意義や意味、そしてその具体的な技法をどこにも学んできていないのである。

では、いったい「文章を書く」とはどういうことなのか。

「書こう」とするな、翻訳せよ

我々が文章で書く上でぶつかる諸問題は、

①文章を書こうとすると、固まってしまう
②自分の気持ちをうまく文章にすることができない

の2点に大別されると古賀氏は語る。

何をどう書けばいいかわからない。あるいは”本来書きたかったこと”と”書き上げた文章”の間に途方もないギャップを感じる。文章を書くにあたってぶつかる壁は、概ねこの2点に集約されるという。

ではなぜ我々は「話せるのに書けない!」のか。古賀氏の示す答えは至極シンプルだ。

書こうとするから、書けないのだ。

「自分の気持ちを書く」という意識なんて、捨て去ってしまえ。

書きたくて書きたくてでも書けなかった我々からしたら衝撃の言葉である。
いやいや、書かなあかんやん。書こうとせずしてどないするねん。光の速さでそうツッコみたくなる。
でも、こう断言するからにはちゃんとした理由があるのだ。

我々が書こうとしているもの、それは頭の中を駆けめぐる言葉になりきれていない”思い”であり、不鮮明な映像や色、漠とした気配や予感のようなもののゆるやかな集まりである(古賀氏は仮にそれを「ぐるぐる」と呼ぶ)。

会話でなら言葉以外に感情や声の調子、身振りといった表現でその「ぐるぐる」を伝えられる。しかし文章においては全く話が違う。当たり前だが、文字しか表現手段がないのだ。文字しか武器がないなかで、話し言葉をそのまま書き言葉に置き換えたところで「ぐるぐる」は表現しきれないのだ。

では、文章で「ぐるぐる」を正しくアウトプットするには、どうすればいいのか。

そこで古賀氏が示すのが”翻訳”というキーワードだ。

ここで言う”翻訳”とは、自分でもその輪郭をはっきり捉えられていない「ぐるぐる」を整理・再構築し、他者が理解できるようなふさわしい言葉を与えること。
頭の中の「ぐるぐる」を他者に伝わる書き言葉に”翻訳”する。それこそが「文章を書く」ということなのである。
すなわち「文章が苦手」というのは、この”翻訳”の意識と技術が不足していることに他ならないのだ。

人生に「文章力」という武器を

頭のなかの「ぐるぐる」を”翻訳”すること、それが書くことの本質である。そう古賀氏は語ってきた。
そしてさらに、

文章力という武器を手に入れておくことは、将来に対する最大級の投資になる

と古賀氏は強く訴える。

なぜか。

これまで述べてきたように、書こうとすれば、必然的に自分の頭で思考を整理し・再構築する。
すなわち書くこととは考えることそのものであり、”書く技術”を身に着けることはものの見方や物事の考え方をアップデートすることとなる。

したがって文章力という武器を身につけ磨くことは、あなたがどんな仕事についていようと、どんな立場であろうと、人生を切り開く術となるのだ。

第1講以降では、実際に”翻訳”の意識と技術についての具体的なルールを、まさしく20歳の若者に語りかけるように、ユーモアを交えたやわらかな表現で解説していく。

第1講 文章は「リズム」で決まる
第2講 構成は「眼」で考える
第3講 読者の「椅子」に座る
第4講 原稿に「ハサミ」を入れる

キャッチーなタイトルの付けられた各講だが、講義に込められたメッセージはどれも非常にシンプルで、我々が思う文章に対する「もやもや」を少しずつ解きほぐしてくれる。
本書を読み終える頃、最初に立ちはだかっていた「話せるのに書けない!」という壁は、ぐっと低く、ちっぽけに見えるはずだ。

本書のタイトルこそ『20歳の自分に~』と題されている。
しかし私は年齢や立場を問わず「文章力を上げたい」、ひいては「人生に自分なりの解を見出したい」と願う全ての人が、等しくこの「講義」を受ける”生徒”となりえると思う。

「書けるようになりたい」

そう感じた瞬間に、あなたは純真なる本書の”生徒”であり、そんなあなたに、教室の扉は開かれているのである。



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