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母になった瞬間から子どもの「生殺与奪の権」を握っている

鬼滅の刃盛り上がってますね。

私はまだ漫画の始めの方を少し読んだだけですが、戦いの中で

「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」


と主人公が叱咤される場面が印象に残っています。

「せいさつよだつのけん」という耳慣れない言葉でしたが、漢字を見るとその意味の重みがすぐに分かります。

自分の生死を与えたり奪ったりする権利を、人に握らせるな、ということです。

自分がこんな切迫した状況になることは、あまりなさそう…と考えていたら1つ思い当たりました。

一人目の産後から数年間の、我が子の生命の安全への緊張感です。


母になった瞬間から子どもの「生殺与奪の権」を握っているのです。

一瞬目を離した隙に赤ちゃんがベットから落ちたり、危ないものを口に入れたり、階段から転げ落ちたりするのではないか?うつ伏せで寝て窒息していないか?

薄い緊張感が昼も夜も、毎日続きます。

幼児になっても、子どもはびっくりするような行動に出たりします。

ハサミで怪我したり、机の角に頭をぶつけたり、突然道路に飛び出したり…いつも気が抜けない時間が続いていました。

たとえパートナーであっても「目を話したら死んじゃうかもしれないんだよ!」という母の緊張感からくる訴えは、共感を得られないことが多いのではないでしょうか。

自分の一瞬の気の緩みが、大怪我やヘタをしたら子どもの命を断つことに繋がるかもしれない。しかし、分かっていても、人間はそんなに集中し続けることは不可能です。


「目を話したら…」というフワッとした仮定の話だと、目を離さなければいいじゃんという話になりそうです。

しかし、母親になった瞬間から、我が子の生殺与奪の権を握ることになっているのだと思い至ると、産後退院してから24時間毎日続く緊張感の原因が言葉を持って形になったと感じました。


実際、親の育児放棄により起こされる悲惨な事件を聞くたびに胸が締め付けられます。

「親なんだからちゃんと育児しろ、大変なのは分かっていて産んだのだろう」

という意見もよく聞かれます。

しかし、不妊で悩んで赤ちゃんを待ち望んでいた私でさえ、赤ちゃんと二人きりで日常を過ごす緊張感や孤独はとても辛かった思い出があります。

それは母になった喜びや赤ちゃんの可愛さとは、別のものでした。

本当に子育てはやってみないとわからないし、赤ちゃんの育てやすさのタイプも、お母さんの育児向き不向きもあると思います。

歌が苦手、絵が苦手、算数が苦手というように人それぞれ違いがあります。

私は算数的な要素がなくて計算は苦手ですし、論理的な思考で話をすることも苦手です。

育児が苦手と言うお母さんがいた時に、自己責任論ではなく、頼れるシステムがあればいいなぁと感じています。


子育て中のお母さん

毎日本当にお疲れ様です。

1日終わってもやりたかったことの何分の1もできていなくて、がっかりしているかもしれません。

でも、どうかご自分を責めないで下さい。

あなたは、今日1日お子さんの命を守ったのです。

無事に過ごせたら花丸です。

疲れたら、一先ず暖かくしてお子さんと一緒に横になってください。

大変な責任の中で、お子さんを育てていること堂々と胸を張って下さい。

今日も1日、お疲れ様でした。

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