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深刻なメンタルヘルスケア事情

長らくやめていたメンタルクリニック通いも、通い直して1年半ほどになる。
過去にはうつ病で通院していたけど、今は自律神経失調症を和らげるための処方薬をもらうために通っている。

主な症状
ー平常時ー
・ブレインフォグ(頭のモヤ、のぼせ)
・視界のぼやけ
・めまい
・立ちくらみ
・聴覚過敏
・多汗症(元々の体質のせいでもある)
・不眠

ー緊張時ー
・声や手の震え
・その場に留まっていられない不安感、恐怖感
・心臓の圧迫、締め付け(狭心症?)

処方薬
ロフラゼプ酸エチル錠1mg(抗不安薬)

症状には幅があり状況にもよるんだけど、他の問題と絡み合ったりして色々ややこしいので詳しくは割愛する。

診察時間はいつも2〜3分程度。
薬をもらえたらそれでいいので、もはやこの程度で丁度良い。完全には症状が取れないにしても実際に薬の効き目は感じているし、とりあえず今はこれで納得している。
同じような診察時間で済んでいる他の患者もちらほら見かけるので、症状は様々にしろ「薬が欲しいだけ」という患者は実は少なくないんだろう。

・深く関わっても却って害になる可能性がある
・必要以上のことは触れさせない
・いい距離感で程よく活用する

これらが、自分がクリニックとの付き合い方で気を付けていること。
もしかしたら他の患者も、同じような感覚で割り切っているのかもしれない。


いくつもクリニックを見てきて感じるのは、どこも“やっつけ診療”であるということ。一方的なスタンスで診察し「はい次」といった形で淡々と事務作業のように行われている。
同じような実感で受診しているという精神疾患者の知り合いも過去に何人もいたし、通院経験がある人ならばだいたいその機械的なさまを肌で感じていることではないだろうか。

「社会復帰プログラム」と称してやることもどこか現実離れしていて、ケアになっているようで泥沼化しているような、なんだか微妙なところだ。
以前通っていたクリニックではデイケアが設けられていたが、そこには何年も足を運んでいる中年患者たちがいた。
生活上の孤立化問題もあるので、居場所や憩いの場として利用する分にはいいのかもしれないが、クリニックの在り方してはどうなの?というのが本音としてある。

要するに、商業主義の枠組みで病院・クリニックの経営を回しているため、どうしても利益最優先になりやすいということだ。診察の回転率を上げれば儲けが出るし、患者をリピーターにすれば経営が安定していく。
日本にこれだけ開業医が多いのが実態を物語っている。

メンタルヘルスの分野は、特に今おいしい産業の一つでもあるのだろう。街を歩けば「ここにも新しいクリニックができている」と目で確認できるほどにあちこちと開業しているのが目につく。
明らかにストレス社会であるのをいいことにビジネスとしてつけ入った結果である。

特定非営利活動法人メンタルケア協議会のグラフによると、右肩上がりに精神科診療所数が増えているのがわかる。
この傾向が現在まで続いているのだとすれば、メンタルヘルスケアのビジネス化は約30年にわたって続けられているということ。

前まではこうしたクリニックの在り方にすごく義憤を感じていた。なんだこの体たらくは、患者が食い物になっているではないか、悪循環ではないか、と。
しかし悔しいが、枠組み、仕組みのところから変わらないとこの状況はどうにもならないのだろう。


そこで登場するのが、カウンセラー、アドバイザーなどを名乗っている人たち。
嫌というほど小手先の理論に基づいた訓練、療法を促す人々がネット空間にもウヨウヨといる。
いかにも効果ありげな印象を与え、言葉巧みにメンタル弱者を釣ろうとする。

何とか療法、カウンセリング、セラピー、トレーニング、コーチング、マネジメント、コントロール、自己啓発、心理学、思考法、瞑想……


ほとんどがインチキか、まやかしである。
絆創膏を貼って治った気にさせられるだけで、毒にも薬にもならない。あるいは毒だ。
結局は売名やビジネスが主目的で、本気で弱った人たちに寄り添いたいわけではない。
Twitterにも似たような声が結構あるので、事実こういったペテンにうんざりしている人たちは少なからずいる。

中には親身なカウンセラーもいるんだろうが、場当たりで気休めな言葉をかけて「あとはあなたの努力でどうぞ」と済ましているものがお決まりだ。
カウンセラー本人は本気だとしても、受ける側からすれば無駄な時間を過ごしたり、的外れなアドバイス、逆効果なアプローチで却って傷つけられる場合もある。
それでいて料金が高額だったりするので(1回45〜60分で5000〜10000円が相場)、本当の意味で治療に繋がるのか非常に怪しいものだ。



メンタルヘルスケアというのは、本質的には対症療法ではなく原因療法が必要なのだろう。
「心の病気は脳の病気」とし、そこを原因として診たがる医者もいるが、実際はそれだけでは済まない様々な社会的背景(職場環境、家庭環境、閉塞感など)がある。
しかしそういった核心部分は棚に上げられ、本人の自己責任を前提に物事を進めていくものばかりが横行している。パワハラや虐待など明らかに他人が原因でPTSD(心的外傷後ストレス障害)になっていても、全て被害者に努力、改善を強いているのが実情だ。

果たしてそれで心は癒えるのか。
寛解して社会に帰って行っても、また同じ目に遭い堂々巡りに苦しむのではないのか。
本来はそうなる原因を作った加害者の方にこそ何らかの治療を施したり、取り締まる必要があるのではないのか。
本当の原因を取り除かないことには健康に暮らすのは困難であり、セルフケアにも限度がある。
こうしたツッコミを入れたくなるが、なかなか核心部分に立ち入れないのが今のメンタルヘルスケアの仕組みなんだろう。だから場当たり的な対応で済まさざるを得ない。

しかしこんなことを繰り返しているようでは、いつまで経っても被害者も、うつ病を始めとする精神疾患者も減らない。
一時話題になった「発達障害」、疾患ではないが「HSP」といった特性も精神疾患と合併しやすい傾向があるが、ブームが去ったらあっという間にこういった問題も忘れ去られてしまう。焦点を当てたつもりでも核心部分をなおざりにされているなら、晒し者にされたのと変わらないような気もする。これでは何の意味もない。

さらに昔から取り上げられている自殺の問題。
俳優など有名人の悲報でも度々話題になるが、今日本には年間約2万人の自殺者がいると言われており、若者の死因1位は「自殺」となっている。
日本財団自殺意識調査2016によると、推計53万人もの自殺未遂経験者がいるのだそうだ。

いかに今のメンタルヘルスケアのやり方がお粗末か、「いのちの電話」に代表される相談窓口がただのお飾りの機関に過ぎないか、すでに結果が出ているのではないか。


日本のメンタルヘルスケア事情は深刻である。
精神疾患は、癌、脳卒中、急性心筋梗塞、糖尿病と並ぶ五大疾病に実は認められているにもかかわらず、あまりにも軽視されすぎている。
何年もクリニックに通い詰め患者が薬漬けにされている現実があるのに、政府はそれを放置し続けている。

自分にはもっと根っこの、元々の日本人の精神性に問題があると思わずにはいられない。
メンタルヘルスケアをしたいなら一過性のブームのようにしたり、小手先の理論や技術とかではなく、もっと道徳的なところから勉強し直した方がいいと思う。
モラルが備わっているなら自分本位のアプローチをしようとは思わないし、商売に利用しようとはしない。弱っている人に対して畳み掛けるような発想、行為にはなり得ない。
真心なくして一体どうやってどん底にいる人が立ち直れるのでしょう。


メンタルヘルスケアに必要不可欠な条件

1.ケアする側が、人として真っ当である
2.当事者のことをよく知る
3.PTSDは、被害者と加害者両方に手を施す
4.真心を込めたアプローチをする
5.政府としても本気になる
6.先進国の知恵を借りる
7.カウンセリング体制を整える

せめてもの自分が思うポイントとして、とりあえずこれだけ挙げてみた。
今のままではあまりにレベルが低く、間違った方向に突き進んでいると思うので、真にメンタルヘルスケアをやるには最低限これぐらいは必要だ。

大前提として、ケアにあたる側が人として真っ当であるということ。何となくスルーされがちだが、モラルの備えは一番重要である。
いくら頭が良くて話上手で魅力的な人でも、モラル性に欠けていたり意思疎通がまともにできない人を信用していいわけがないのだから、全てはここにかかってくる。

そして、きちんと“知る”ということ。当事者のことをよく知らないと適切な処置も何もない。全ては“知る”ことから始まる。
一人一人のバックグラウンド、外的要因、内的要因、心境など複合的な問題をしっかりみて、当事者(被害者)に改善を強いる一辺倒ではなく、他の問題も考慮し、責任の所在を明らかにしていく。
酷い加害者に対しては法的措置を取ることも躊躇せず、そういう人に対してもなんらかの心のケアする。

真心を込めたアプローチには「寄り添う姿勢」が重要である。聞き上手にしろ話し上手にしろ「一方的な姿勢」を崩さないタイプの人はメンタルヘルスケアには向かない。慎みを持って相手に接し、疲れた心を癒していくことが求められる。
また民間の努力ばかりではなく、政府としても本気を見せる。決めた方針をブレさせず、先進国からの知恵も借りて、国の外からも内からも変わっていく。
ブラック労働についてはすでに2013年に国連から勧告が出ていたはずだが、自国で直すつもりがないのなら外圧があっても丁度いいぐらいに深刻だ。

カウンセリングについては、現時点では誰もが自称カウンセラーを名乗ることができるようになっており、実に軽薄で、ビジネスの温床になってしまっている。「信頼」を重点に置くべきカウンセラーの立場をここまで骨抜きにされている実態は、はっきり言って異常事態である。
より有効で継続的に利用できるようになるためには、料金のハードルを下げることはもちろんだが、公務員(公認心理師・臨床心理士)の比重を大きくして民間での活動を制限していくぐらいの厳格な取り組みは必須ではないかと思う。
適切に用いられさえすれば治療に役立つ立派な行為の一つであるはずなので、良質で安心なカウンセリング体制が求められる。


昨年暮れ、知識人たちが出てきて高い位置から偉そうにしゃべる印象が強い討論番組で、議題の「メンタルヘルスケア」について唯一、意義があると思える言葉が放たれた瞬間があった。

“正直者が馬鹿を見る社会にしない”

財務省近畿財務局の元職員、赤木俊夫さんの自殺を踏まえての発言である。
当たり前のことを言っているのになぜこんなに感心しないといけないんだろうと思うほどに、ようやく公共放送の生番組で当たり前のことが聞けた瞬間だった。
これこそが生きづらい国ニッポンが取り戻すべき重要課題ではないだろうか。

心を病んでしまう人は真面目な人たちが多いと言う。そういう人たちを否定するような真似だけはしてほしくない。
国として重点的に対策に取り組むべき「五大疾病」なのであれば決して軽視してはならないし、ましてやビジネスにしてはならない。当事者は客ではないのだから、健康を取り戻してもらう以外の目的があっては絶対にダメなのだ。
ただでさえ素直な気持ちを打ち明けにくい閉塞感の中で、メンタル衰弱を隠しながら空元気で過ごさないといけない。生きているだけで相当な負荷がかかっている。
当事者の自助努力を促すばかりでなく、もうすでに散々頑張ってきて今があることを忘れずに、血の通ったメンタルヘルスケアを望む。

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