酒と薬の日々

 メンタルクリニックの主治医に飲酒を控えるように言われた。そして頓服として処方されているアルプラゾラムと酒の併用も辞めるように言われた。私にとってはこの二つは生きていく上で必要不可欠なものなのだと反論すると、酒と頓服に頼らない趣味でも見つけるようにという指令が出された。

 私は成人に達したその日から飲酒を始めた。一週間もたたぬうちに1000円程度の安ワインが生活に欠かせないものになった。ワインの蠱惑的な香りが鼻腔を刺激し、喉を通る刺激が腹の中で温かみに代わる時、私はこの上ない幸せを感じる。ワインは私にとって生の歓びを体現するものだ。 

 今現在頓服として処方されているアルプラゾラムは大学に入学した直後から処方され続けている薬である。私の人生の一部と化した漠然とした不安や焦燥感と向き合っていくためにはこの薬はなくてはならないものだ。アルプラゾラムを飲んで15分程経つと自分が生きている現実世界がまるでフィクションであるかのように感じられる。この腐りきった現実から少しの間離れることができる。それ以上の時間、現実から離れたいのなら死を選ぶまでだ。

 前述のことを主治医に言われてから私は様々な趣味を見つけようと苦労した。まず始めたのは運動だった。まずは軽くウォーキングから始めた方がいいと主治医が言うので、敷地が広めの公園を見つけ、そこの外周を歩き回ることにした。数日で辞めた。公園というものは人が集まるところだ。私は生きている人間に嫌悪感を抱きやすい性分であるため、常に必ず誰かがいる公園をひたすら歩きまわるというのは苦痛に等しいものだった。歩いていると視界に入ってくるのだ、人目もはばからずスキンシップをするアベックや、誰かのゴシップで大袈裟な笑いをとどろかせているご婦人方、彼女たちが押しているベビーカーの中で断末魔の金切り声を上げているおぞましい物体、公園の健康遊具で少しでもこの世にのさばろうとする老人たち。彼らを見ると公園内の鯉がひしめき合いながら泳いでいる池に身を投げたくなるのだった。

 次にカルチャースクールで楽器を習ってみることも考えた。私は中学校時代吹奏楽部に所属しておりアルトサックス担当だった経験があるからもう一度サックスを吹いてみることを考えたのだ。しかしこれも諦めることにした。カルチャースクールの熱意の籠った講師や生徒たちとうまくやり合ってゆけるのかどうかということに関して不安を抱いたのである。私は前述のとおり生身の人間という存在自体が嫌いであるが、情熱や熱中といったものにも苦手意識を抱く。もし仮に何かに熱を挙げたとしても鬱状態になった時に自分が行っていることが馬鹿らしく感じられてしまう。もし鬱状態になってサックスに飽きが来て辞めるということになればそれまでにかけた受講代や楽器の部品代などが無駄になってしまう。

 この通り、大抵の道楽というものは必ずと言っても他者が関わるものだ。その分飲酒や自傷行為は自分一人だけでも行うことのできる個人的な道楽だ。それらは私にとって脅威である他者の存在忘れさせてくれる。私にとって苦痛でしかない熱気を忘れさせてくれる。主治医が何と言おうとやめるつもりはない。やめられるものか。それらは私を桃源郷に連れて行ってくれるのだから。

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