【短編小説】朝、電車内にて

 電車に乗って30分かけて学校へと向かう。電車の中は外に広がる真冬の空と違って暖房と乗客たちが発する熱気とで何となく圧迫感がある。私は扉の近くのバーにしがみつきながら外の景色を眺めている。ふと周囲を見回してみると乗客たちは皆俯きながらスマートフォンを見ている。スマホを見ていないのは私だけ。まるで社会の流れに取り残されてしまったかのような疎外感を感じる。

 次の駅に到着。降りる駅まではまだ距離がある。電車から数人が降り、その数倍の人数が電車に乗ってくる。暖房がかかり続ける中、生きている人間が発散する熱気が更に強くなる。圧迫感にさらに拍車がかかる。私は少し吐き気を覚える。降りる駅に着くまで吐いたりしませんように。めまいなんかを起こして倒れ込みませんように。もしそうなってしまえば私は死んでしまうから。恥ずかしさに耐えきれずに。

 突然怒鳴り声が聞こえた。視線を声のする方に向けると初老の男が若い男に向かって怒鳴っている。乗客トラブルだ。勘弁してくれ。初老の男は若い男に向かって罵詈雑言を叫び続けている。初老の男曰く、この若造が自分の座ろうとした席に割り込んできたのだという。若い男はそれに反論した。自分はただ座席に座ろうとしただけなのに、この老人がいきなり怒鳴りつけてきたのだと。

 あぁ、どうしよう。胸がザワザワする。怒鳴り声を聞くといつもこうだ。怒鳴られているのは赤の他人なのにまるで自分が責め立てられているかのようなばつの悪いこの気持ち。動悸が止まらない。冷や汗が出てくる。目の前がグルグルと回転し始めた。まずい、めまいだ。頭の血がスーッと引いていくのが感じられる。肉体が持つ熱が次第に失われていき、意識も朦朧としていく。駄目だ。このままでは死んでしまう。恥ずかしさで死ぬなんて。乗客たちの冷たい視線や駅員の事務的な対応に囲まれて死ぬなんて。私が二度死ぬようなものだ。1回目は肉体的に。2回目は精神的に。

 おもむろに鞄の中からカッターナイフを取り出す。カッターは度重なる自傷行為のせいで所々錆が出ている。私はカッターを持って喧噪が鳴りやまぬ電車の向かい側へ移動した。まず刺したのは若い男の方だった。カッターを強く押し込むと男の胸部から鮮烈な赤がとめどなく流れた。動脈血だ。初老の男はその様子をただ呆然と眺めている。私は若い男の身体からカッターの刃を抜くと、今度は初老の男を刺した。初老の男は若い男よりも早く意識を失った。男が倒れ込むと同時に私はスッとカッターの刃を引き抜いた。

 カッターを鞄の中にしまい、両手に付着した血液をハンカチで拭う。制服のスカートやリボンに血が付かなくてよかった。乗客たちがこちらを見ている。私は彼らに微笑を見せながら軽く会釈した。いつの間にか吐き気やめまいは収まっていた。気分もすっきりと晴れて、重りが取れたように胸元が軽い。もうすぐ最寄り駅に着く。私は交通系電子マネーのカードを鞄から取り出して電車が止まるのを待った。

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