見出し画像

帰り道

今日も仕事が終わった。さぁ、家に帰ろう。

日が落ちかけた夕暮れ時に私はいつもの橋を自転車で通りすぎる。夏から秋に変わる頃、辺りは黒が侵食に入り、真赤が小さくなっていく。僅かな時間、紫に染まる。その空間は時空が歪んでいるのではないかと思うくらいだ。私はどこかに飛ばされてしまうのではないか・・・・ なんて事をふと思ったりする。
今日も終わった。

何も変わりはしない。

ただただ同じ事を繰り返す。だが考える事は歳と共に増えていく毎日。毎日毎日。
10年、いや15年、いや20年この道を通っている。たくさんの思いをしてきた。喜び、戸惑い、不安、苛立ち、たくさんの感情達と共に。マイナスな感情が多いのは私の性格のせいであろう。

建ち並ぶ家々も木の立ち方も子供達の少ない公園もぽつんとあるスーパーも何も変わりはしない。変わるとすれば風景の色だけだろう。
私の色は変わってきたか?
別に病んでる訳でも嫌な事がある訳でもない。やる気は無いが低い価値観をちゃんと意識し他人に迷惑をかけず真面目に生きていると思う。

ただ私を囲う風景はどこも悲しく見える。

あと何回、この道を通るのだろう。何かを変える力など私にはない。変えたいとも思わないが心のどこかでは違う道にも憧れはある。

何を持って、何の為に生きているかなんて事は必要であるのか?

私はただ風に揺られ、ゆっくりと穏やかに自分と語り合い同じ事を繰り返す。何してんだろっと一息付く事に満足しているのだ。 ほんとに満足しているのか? その合間をずっと考えているのは確かだ。

嫌な事、良いと思う事は人並みにある。ただ、見え方が人とは違う事が多い。 一般的普通にはなれない。皆と一緒を嫌うのだ。こんな思いをしていてもそれでも世界はまわっていく。置いてかれていくような。

しかしこの頃思う事がある。そう、この世界は私が創りだしているという事。

そこにある生活、お金の回り、人間関係、生き方、もっと大きく言うならば政治、戦争、貧困、地球のありかたなどそれは上手くいってるとかいってないとか全て自分の価値観なのだと。自分からの視点だけの価値観になる。

このまわっている世界には正も悪もないのではないか?
良いも悪いもそれこそが何の意味も持たないのではないか。
全て自分が決めているのだから。私がこの風景を決めているのだ。

風景が変わっても変わらなくてもきっと時間が過ぎ私が思う事は変わっていくだろう。
この先も世界は変わる。私が創りだす世界はどうなるだろうか。

そんな事を思いながら今日も家に帰る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?