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Vtuberは何故卑怯がられるのか。

 Vtuberに関するニュースや世の中の反応を見ていると、仮面で顔を隠している卑怯者として扱われるというか、何かズルをしたり嘘をついたりして人やお金を集めているような悪意の介在が疑われるような印象操作を感じる。バーチャルだから推せる人もいれば、バーチャルだからというだけで悪く言う人も居る。バーチャルってなんだっけ?とか、そういう話も考えないといけないのかもしれない。

 私が思うに少なくともVtuberは素顔を隠した卑怯者ではない。画面の向こうに立つ当のライバー本人達より、画面に向き合って炎上させたり、推したり、ニュースにしたりしているこちら側の方がよっぽど卑怯というか、恣意的に自分にだけ都合のいい立場にいる。後ろめたい事情も込みで素顔を隠しているに違いない!という理屈でVtuberを一方的に叩く人は多いが、同じ理屈はそのままブーメランになることに気がつかないらしい。きっと、バーチャルYoutuberのバーチャルである側面の解釈に残された余地を悪用されていたり、そこに理解が及ばない人が居たりするから、こういった悲しいことが起こるのだと思う。

 誰かを楽しませ、その期待に応えるというのは並大抵の事ではない。小学生のころ女子に呼び出され涙ながらに「席が隣で気持ち悪いから死んでほしい、死ぬのが出来ないなら学校に来ないでほしい」と頼まれてからも学校に行き、今なお生き続けている私など、そういったエンターテイメントの人たちには到底及ばない。バーチャルYoutuberはそれをバーチャルの世界でやっているのだからスゲェよなと、私は感心するばかりである。

 そもそも、Vtuberやライバーなどとも称されるバーチャルYouTuberという言葉自体はバーチャルとYoutuberの2単語からなる造語である。Youtuberの部分は動画サイトYoutubeにおいての活動を主軸とする投稿者・配信者の名称であるとして、バーチャルの方は一般的にキャラクターや世界設定が架空のものであるという点に由来すると解釈されるが、肌感覚でそれだけではないように思う。

 VRが仮想現実の頭文字のように、バーチャルという言葉そのものは仮想とかそういう意味らしい。バーチャルYoutuberで難しいのがキャラクター設定こそ定義上は仮想・空想世界の産物だとしても、そのライバーや配信者は実在し、存在そのものに実体がないかといえば決してそうではない側面があり、生身の素顔をさらして配信や動画投稿を行う者より、時に生々しく現実的な存在を感じる場面さえある。

 この前、現実アレルギーがVtuberなら推せた話というnoteを書いたが、この記事の中でリスナーは全員匿名であると書いたことがある。
https://note.com/mugenn251000/n/n1c8283bd6bc6
もしかするとバーチャルYoutuberで仮想的なのは配信者よりむしろリスナーの方かもしれないと思った。リスナーが仮想的な立場であればあるだけ、その期待もよりバーチャルで現実離れしたものになるだろうし、炎上だったり、極端な厄介オタクや行き過ぎたガチ恋勢の感情の暴走を垣間見たりすると、なんとなくその傾向を感じるような気もする。

 バーチャルYoutuberのバーチャルは、配信者が仮想・空想上の設定を背負うキャラクターの仮面を被ることよりも、仮面を被った仮想世界の匿名リスナーや空想の世界で現実離れした期待の相手をすることの方を指すものではないだろうか。きっとお互いに訳あって隠していることも、お互いの為にマスキングしていることもあるのだろうが、その昔は何よりも重要であったはずの実態という掴みどころが存在しないのはライバー側とリスナー側のどちら側かと問われれば、案外その両方がそうなのかもしれない。

 やはり、私は卑怯者と言われても仕方ないほど恣意的に自分の都合で仮面を被っているのはライバーの側ではなく、こちらの側である気がしてならない。

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