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Vの卒業つらすぎるから悲しみの果てツアー行こうや

出会いがあって別れがある。それが応援している存在の旅立ちであり、前向きな理由であればあるほど、旅立つ背中も含めて推すべきであろう。同時に頭で描いているほど綺麗に振舞えないのが世の常らしい。
 
私はVtuberの厄介オタクをしているものであるが、また眺めていたVの者が旅立ち、その風景が消えゆくことになった。もちろん心穏やかではない。
 
心穏やかでなくなる理由は主に葛藤である。自給自足で内面に2つある側面の板挟みを食らうのだ。目下、我が心中では最後の配信から数日が経過した今なお「送り出す気持ち」と「嫌だ!行かないで!!の気持ち」が正面衝突の真っ最中である。
 
私のような心根の弱いオタクの葛藤はもともと、自分はファンとして胸を張れるのかとか、そういう次元で絶えず介在はしているので、引退発表に際しても、胸を張って悲しんだり、お気持ち表明をしたりできるような全うなファンであったかみたいな自問自答を繰り返したり、ミーハー的に最後だけ大声で手を振ることに後悔も相成って泥沼の懸念を繰り返したりした末、黙しているよりは例え掻い摘んでいただけだったとしても惜しむ方が自然で、賑やかしとして一連の歴史や風景の一部だろうと開き直った次第である。
 
そして、何より物寂しいのは蚊帳の外にいる無力な現実を突きつけられることかもしれない。「居なくなるわけではない」とか「死ぬわけではない」という言葉でもって己のオタク心を慰めてきたわけだが、横の繋がりのあるライバー同士が同じ言葉を使っていて共感と安堵が芽吹きだした矢先、追加で「連絡先知ってるしな」という最終兵器が不意に発射され、途端に着弾し無力感か爆発するのを感じた。
 
しかし、開き直ることにした。この悲しみに果てがあるとすれば、きっと蚊帳の外からでしか到達ができない。ついでに、推しが引退した時に効くの音楽を3つほど紹介しよう。これで悲しみの果てまで行こうや。 



1つめ、ハチ(米津)さんの『ドーナツホール』
「この胸に空いた穴が今あなたを確かめるただ一つの証明」
とにかく歌詞全部読んでほしい。泣くから。



2つめ、バルーン(須田)さんの『シャルル』
「こんな憂いも意味があるなら」
これも歌詞読もう。泣くから。
 



3つめ、エレファントカシマシの『悲しみの果て』
「ただあなたの顔が浮かんで消えるだろう」
もう泣いてる。



とりあえず、この3曲聞いて、また浮いてこようや。
 
卒業配信で涙を流す姿を前に脳裏をよぎった言葉は恥ずかしいことに「泣くぐらいなら卒業しないでくれよ」だった。その最低な文面でのコメントを踏みとどまったことを少しだけ誇りに思ってから猛省した。その実在する架空の存在は、人生に涙を流すほど痛みを伴う舵取りを下したわけなのだから敬意を示さねばならない。我々に出来ることは、いつだって少ない。いつの日か忘れてしまうが、その日まで覚えていることが寂しくも精いっぱいの餞であるのかもしれない。
 
追伸
人は声から忘れると聞いて、最初に感動した歌ってみた動画だけでも違法ダウンロードせぇ!と訴える心を理性で制止するのに手を焼いていましたが、チャンネル削除の日を迎え、無事サイバー犯罪者にならずに済みました。

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