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Vtuberなんか推して何になる?

 オタク趣味に限らず、実生活上の利得と直接的な結びつきが見出し辛い何かしらの趣味にある一定以上の傾倒をしていると、ふと「そんなことして何になるの?」という横やりを誰しも食らったことがあるのではないだろうか。かくいう私も、かれこれ長い間、手を変え、品を変え、この期に及んでなお現実逃避を今も続ける身であるから、横やりを食らった経験など数えきれないほどある。

 カードゲームにハマる者を見かければ将来なにも残らないと言い、ソシャゲ課金やアイドルにハマる者を見つければ金の無駄だと言うような、この世の中には横やりを投げたくて投げたくて仕方がない横やり族でも居るのかと思うほどである。悲しいかな現実の実生活にわかりやすく着地していないだけで、趣味というやつは何かと横やりを食らいやすい設計らしい。個人的な見解だと、決して何も残らないわけではなく、経験と思い出は必ず残るのだが、横やり族は文化を持たない民族であるから、このような感性の話など通じないのである。そして、私の身近にも横やり族が居たらしく、Vtuberなんか推して何になるの?と横やりが飛んできた。出たわね…は?別に何にもならなくたって推すがね?と思った。

 こういった横やりが飛んできた際、青少年の教育に不健全で悪影響があると昨今話題の若者人気が絶えない楽曲になぞらえて「うっせぇわ!」と言ってやりたくなる気持ちは飲み込むに越したことがない。横やり族は会話や議論がしたいのではなく、横やりを突き刺すことによってこちらの時間を奪ったり、軸をブレさせたりすることに愉悦を感じ、それを目的とする。相手をしてやるだけ時間の無駄なのだ。何にもならない、だがそれが良いということなど奴らには分からんのだ。そもそも、何かの役に立ちそうだからとか、利得が生じるとか、そんな理由でVを推してると思っていたのかァーッ!!という話である。

 しかし、好き好んで応援しているコンテンツが何の役にも立たないといったような言われをしているとなると気が気ではない。反論するなら少なくとも、趣味の中でオタクは経済を回している。それもシンプルにグッズ購入等を介して金銭的に回る貨幣経済だけでなく、オタク1人1人のチャンネル登録の累積でもってフォロワー数となり、推しの名声・知名度に繋がるわけだから、信頼・評価経済の方も回している。悔しかったらそのぶん経済を回すべし。無理のない範囲で構わないし、貨幣に限ったことではないのだから、迷惑をかけないように自分のできる範囲でコンテンツの利潤や評価と知名度を広げるために出来ることを探せばいいのだ。何も難しい話ではなく、オタクは自ずと推す時は頬が緩み楽しげな顔になっていることと思うが、その輝きで十分なのだ。少なくとも自分1人はそれで幸せを感じていることに意味がある。

 他人の趣味に「そんなことして何になる?」といたずらに問いかける横やり族について、私のなかではある程度は既に個人的な結論が出ている。私に言わせれば趣味というのは、感動して心が動く仕組みのメンテナンスであるから、横やり族から発せられるその言動そのものが私にとっては、単に整備不行き届きで錆びが回り、上手く動かなくなってしまった心が軋む音に過ぎないのだ。

 もともと趣味は愚行権行使の側面が大きい。つまり趣味は何かの役に立つからと手を出す投資ではなく、シンプルに浪費なのだ。人生の時間や資本の使い方について言う無駄か有意義かの判断を前に他人の言動など最後の最後ではお節介に他ならない。無駄と叫ぶ人も居るようだが、君はどうする?という話である。一度は振り返り、自分で考えないとどのみち後悔をする。自分で決めて踏み込んだところで、本当に何も残らないかもしれないし、思い出ぐらいは残るかもしれない。皮肉にも浪費は少なくとも経済は回すわけだから、無駄かもしれないその一端を担うというのなら、いっそのこと思う存分回してやろうではないか。

 心が動くことに理由は要らない。そこに説明や理由を強いるのは野暮というもの。理由が欲しいなら探してこい。投資がしたいなら他所へ行け。悪いが此処は無駄でもいいと割り切った者たちが、笑顔で浪費をする場所なんだヨ。

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