見出し画像

龍の旅立ちとVの引退革命について

 悔いが残るのは今をちゃんと生きていないからではないか。決してそんなことはないのだが、心の弱さからそんな風に考えながら後悔に溺れる自分から目をそらし、結果より一層深く溺れることを私は繰り返している。推せるうちに推せという。私は推しきれるだろうか。具体的な固有名詞の明言は避けるとしても、リスペクトを込みで何事も常識破りであった怪物が引退を発表したわけで、例に漏れず私の心にも風穴があいた。

 そういえば同事務所内で、ちゃんとした卒業は初ではないかと思いながら、その活動に思いをはせると、その実績にも“初”が多く、耳を疑うような前代未聞の型破りで、類を見ないものばかりであったように思えて、勤務中であることなど構わず今すぐ涙を流せと脳が指示するのを無視することで精いっぱいであった。

 あのドラゴンの活動や業績のほぼすべてが革命であったのではないかとさえ思える。見え方や常識を塗り替えるように、どこか挑戦的で、大事を軽々と飄々とこなすような、常に立ち向かうようなその底の抜けた明るさと器の大きさに惹かれた人が私以外にもいるのではないかと思ったりもする。

 私の涙腺が限界を迎えたのは、卒業を発表した同日の雑談配信で語られた「触れてはいけない存在にはならない」という表明を受けたときであった。この表明そのものも前代未聞である。さも当然のことのような口ぶりであったが、後を濁さずとでも言いたげなこの清々しさや爽やかさも革命的であるように思えた。なんとも“らしい”というか、飛び立つその羽ばたきでさえも新しい風を吹かせるのかと、その在り様のとんでもなさを改めて感じた。

 後に触れることがタブー的になりがちで、概念的な消失ばかりであったVの引退の在り方について、意図してなのかいつもの無意識破天荒なのか投じられたその一石を贈り物として受け取る心の備えが急がれる。Stay positiveでいられるように、変わらず潔く大きすぎる背中を残された時間だけでも精一杯推しながら見送る準備はできているか。私はまだ時間がかかる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?